舞台上も客席も熱量がすごい。魔法の世界を体感できるのはこの作品だけ!
TBS赤坂ACTシアターで上演中の舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』は、世界のエンターテインメントを牽引する一流スタッフが創り出した「ハリー・ポッター」の世界観を劇場で体感できるのが大きな魅力。原作ファンも、初めてハリー・ポッターの世界に触れる人も、誰もが楽しめるストーリーや次々と繰り広げられる魔法の数々、心躍る音楽や舞台美術に夢中になってしまうはず。
7月からハリー・ポッター役を務めている平方元基さんと吉沢悠さんに、現在の心境や役と作品への思いなどをお聞きしました。
(左から)平方元基さん、吉沢悠さん
──ハリー・ポッター役を演じている今のお気持ちを教えてください。
平方元基(以下、平方) 必死にやって、気づいたら初日から1ヶ月半くらい経っているんですよね。公演期間が長いとは思いつつも、いつかは終わっちゃうんだなというのも同時に感じています。体力的にも精神的にも大変ですけど、やっぱり楽しいんですよ、この作品で舞台に立つのが。だからこんなに素敵な経験がいつか終わっちゃうと思うと寂しいなっていうのはあります。
吉沢悠(以下、吉沢) 舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』という舞台自体を生き抜くっていうことは本当に大変で、でもその中に楽しみがある。だから毎公演、踏ん張れています。今回の舞台は本当にみんなの熱量がすごいんです。イギリスから始まってニューヨークやオーストラリアなど世界中のいろんな場所で上演されていますが、アジアでは日本だけなので、その中でハリー役をやらせていただいているのは特別な感じがします。お客様もたくさん観に来てくださっているので、「今日も頑張ろう!」という思いがより本番始まってから強くなりましたね。
──大人になったハリーを演じるにあたり、大切にしていることは何でしょうか。
平方 親子の関係とか魔法法執行部長官としての役割とか、“魔法界の日常”を物語にしているので、やっぱりその場その場の雰囲気、空気、温度、質感といったものがすごく大事になってくると思います。キャストの組み合わせによっても変化がありますし、そこも醍醐味ですね。勇気を持って踏み込んでいけば、物語がうねり出す。それがお客様の喜びにも繋がっていくだろうから、怖がらずに果敢に挑んでいけたらいいなと思っています。
吉沢 生身の人間が目の前でやっていることにきちんと反応するということ、セリフを聞いて・感じて・発してという当たり前のことを、落とさないようにするというのが一番。その上で、受けた演出をしっかり丁寧にやりたいと思っています。例えば「魔法界というのは噂が大好き」「イギリス人特有の感覚というのがあるから、そこを大事にしてほしい」など細かい演出を僕らは受けているのですが、それが伝わろうが伝わるまいが、大事にしたい。演出補のエリックさんが言っていたのは、「核の部分だけ外さなければ、何かあっても必ずハリーでいられるし、ハーマイオニーでいられるし、それぞれのキャラクターでいられる。そこを絶対に忘れないで」ということ。それを大切にしたいです。
──お互いのハリーに対して、素敵だなと思うところはどこですか。
吉沢 恐らく、キャストの中で一番時間を共にしたのが平方くんです。同じ役に向き合う中、稽古場で平方ハリーをたくさん見てきました。例えば誰かがセリフを間違えてしまったり、感情の乗り方が昨日と今日で違ったりしたときに、平方ハリーはきちんと対応するんです。目の前の相手が発したものをしっかり受け取って、自分の感情の出し方も変わったりするというのを丁寧にやる人。正直、大変なことだと思うのですが、それを大事にしているハリーであり俳優であるという印象です。
平方 僕も吉沢ハリーを稽古場からずっと見ていて、まったく同じことを思っていました。人間力、懐の深さ、優しさみたいなものが、悠くんのハリーからすごく感じられる。人の痛みやショックを感じた時、セリフは決まっているけど言いにくい、言えない。それはセリフがわからないからじゃなくて、衝撃をもろに食らってしまったから。そんな風に、板の上でちゃんと生きているんだというのがわかるし、それが俳優という職業をやるってことだよねって思う。悠くんはいろんな色を出せる人だから、「次はどうなる」ってすごく見たくなる俳優です。
──公演を重ねる中で、お客様の反応はどのように感じられていますか。
平方 小中学生が多い日があったり、「ワオ!」という感嘆詞が飛び出すような“ザ・ブロードウェイ”みたいな日もあれば、お客さん本当にたくさんいますか?っていうくらい静かに集中して観てくださっている日もあって。1回として同じ回はないんです。自分たちが舞台の上のことに100%集中して物語を届けていけば、お客様が柔らかく笑ってくださろうが、真剣に食い入るように観てくださろうが、最後のカーテンコールの時に「こういう日だったね、こういう回だったね」というのがわかる気がします。反応はさまざまでも、劇場がひとつになるってこういうことなんだというのを、実感している日々です。
吉沢 俳優は舞台の上で喜怒哀楽を表現していますが、本当に客席にも喜怒哀楽があるなと思いますし、本番を重ねていく中でお客様にプッシュしていただいている部分もすごく感じています。ハリー・ポッターのコスチュームで観劇されるお客様もいらっしゃって、舞台の楽しみ方の幅が広い作品ですよね。僕自身、今年の2月にイギリスで観劇しました。イギリスはイギリスならではの独特な観劇の仕方もありますが、日本のお客様も熱量としては同じように、本当にこの舞台を楽しんでくださっているのが分かり、すごく励みになります。
──「ハリー・ポッター」シリーズは世界中の人々をトリコにしていますが、舞台ならではの魅力というと、何でしょうか。
平方 「枠」ではないところを見られるところですね。セリフを話していない人や、演出もつけられていないようなところを見ることができる。自分の好きなところを好きなだけ、穴が開くほど見ることもできる。それが役者にとってはすごく嬉しいところでもあり、恐ろしいところでもあるけど、舞台はそういう楽しみ方ができます。どのキャラクターにも血が流れていて、時間が流れていて、それぞれに物語があるんです。だからセリフがあろうがなかろうが、舞台に立っている時点で、“何か”があるからそこにいる。そういうことを、日本のお客様ってすごく考えながら観てくださっている気がします。そして、舞台上の僕たちと観劇するお客様、双方のマンパワーを感じられるのが舞台作品の魅力です。
吉沢 19年後の世界を描いているのは、映像シリーズではまだありません。そういった面では、ハリー・ポッターシリーズのファンの方にとって、小説や映画の先のストーリーを知れるのはこの舞台だけ。さらに、アジアで舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』を観れるのは日本だけ。TBS赤坂ACTシアターだけなんですよ。すごいことだなと思います。日本にはハリー・ポッターファンの方がとても多いので、イギリスチームも日本で仕事をするのを楽しみにして来てくださっていましたし、日本で公演することに対するリスペクトがあるようです。魔法を体感できる舞台というのは、今までにないと思うんですよ。どういう魔法なのかは言えないのですが(笑)、演じる側としてはとんでもなく大変なんですよ!その大変さをお客様に感じさせないように、魔法をお見せできるように、我々は一生懸命演じています。ひとりひとりが熱量を持って、毎公演毎公演演じる姿を肌で感じることができるのは、舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』の特別な部分なのかなと思います。
──年齢や性別にこだわらず、ハリー以外の役を演じられるとしたらどの役をやりたいですか。
平方 僕、ディメンターをやりたいです! どんな感じなのかすごく気になります。みんなやりたいんじゃないかなぁ?
吉沢 僕は完全にダンブルドアです!
平方 やっているかもしれないよ、何年か後に。
吉沢 え、本当に?(笑)。ダンブルドアは年齢的にも難しいですが、あれほど魅力的な役はないなと思います。いろんなことをわかった上で、もしかしたら未来もわかっているのではないかなと思いながらも、きちんと向き合って生きてきた、大きい役だなと。今演じてらっしゃるダンブルドア役の方を見ても、素敵だなと思いますし、ハリー役の自分から見た一番身近な人物としてもかっこいいなとも思います。
(取材・文:井上菜々子)
歴代で一番、動きが速いハリーが見られると思います(笑)
クアトロキャストで注目されるハリー・ポッター役を務める大貫勇輔さんにインタビュー。もともと原作の大ファンだったという大貫さんに、ハリー役への意気込みを聞きました。
俳優 大貫勇輔さん
普段鍛えている自分でもキツいトレーニングをしています
──本番を間近に控えた今、稽古の様子はいかがですか。
舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』は、すでに1年以上も公演している作品です。自分はそこに新たなキャストとして加わる形なので、ちょっとビクビクしていたところはありましたね(笑)。現在の稽古場もちょっと不思議な感じで、すでに本番を行っているカンパニーのキャストと、僕たちのような初めてのキャストが一緒にいるんです。ですから、最初は稽古の進め方もわからなくて。2週間ちょっとたった今、ようやく進め方というものがわかってきた気がします。
──この作品は、2016年ロンドンでの皮切り以降、すでに多くの国で上演されている作品でもありますね。
そうです。ですから、舞台の作り方や稽古の進め方については確立されたものがあり、安心感も感じますね。演技のアプローチ的なこともそうですが、例えば舞台装置と役者の動きや、もろもろのチェックみたいなところも、危険がないようものすごく丁寧に進めています。実は、稽古が始まって1週間後くらいに、劇場の、本物のセットの上で稽古をしたんです。まさに今、本番をやっているその場所で。そんなことは今まで体験したことがなかったですから、びっくりしましたね。冒頭から四場くらいまでやったのですが、まだ体に完全にセリフが入っていない状態で舞台に立って、本物の照明の中でお芝居したものですから、案の定、次の日には舞台でセリフが出てこない夢を見ました(笑)。やめて欲しいですよね(笑)。
──スパルタ感がありますね(笑)。でもその分、早く体に入るということはありますか。
そうですね。あとはウォーミングアップがめちゃめちゃきついんです。稽古の初めの30分でやるのですが、もう汗びっしょりになりますし、最初の1週間は毎日筋肉痛で。
──普段から鍛えていらっしゃる方でも大変なのですね。
そうなんです。自分でもびっくりしました。普段自分が使っているのとは違う筋肉をトレーニングする感じですね。今はなんとか慣れてきたのですが、それだけ体を使う舞台ということですね。この舞台は、体で説明しなきゃならないことが多いんです。どれくらいのスピードで動くのか、どれくらいのスピードでしゃべるのか、それによって切迫感や緊迫感、感情を表現するんです。あとはイギリスの作品ということで、体の使い方が姿勢からして日本のものとは少し違うんですよね。イギリス人の姿勢みたいなものがあって、それによって品格や格式の高さまで表現しなければならないので、そこは特に習得するよう求められている気がしますね。
自分の人生にも響くような深いセリフがたくさんあります
──もともと「ハリー・ポッター愛」を公言されている大貫さんですが、実際に作品の世界に入って感じることはありますか。
そうですね。世界観はもちろん大好きなものですが、いざ自分が演じるとなると、また少し別のことを感じます。それは……ハリーはやはり、ひとりではハリー・ポッターにはなれなかった、ヒーローにはなれなかった人間だということ。彼はたまたま母親の愛によって、ヴォルデモートの呪いを防ぎ、有名になったり、スターになってしまったわけですが、彼自身はいたって普通の、イギリスの子どもでした。それが、たくさんの人との出会いによって、あそこまで行ったというか、行ってしまったというか。ですからそこには、喜びや誇らしさのようなものもありつつ、同時に戸惑いみたいなものもあり……。両親がいない悲しみや孤独もあります。
──「孤独」というのは、作品の中でも話される話題ですね。
そう。劇中では、ドラコが、「自分は孤独だった。それは友達がいないから。そして僕のこの孤独は、ジニーにもわかるかもしれない」というようなセリフがあるんです。それに対してジニーは「私もそう思う」と答えるのですが、実はそのセリフだけ、最初僕は今ひとつ意味がわからなくて。ジニーはハリー・ポッターの奥さんですが、彼女はもともとウィーズリー家でもとても愛されて育っていますから、どうして孤独なんだろうって。映画を見返してみても腑に落ちないので、演出家に聞いてみたんです。そうしたら、「孤独にも、いろいろな孤独があるだろう。はっきりと孤立して感じる孤独もある一方、周りにたくさん人がいても孤独を感じることはあるよね」って。そんなことをおっしゃっていたのですが、それを聞いて僕も、確かにジニーには、ハリーにとってのハーマイオニーやロンのような、本当に仲のいい友達みたいなものは描かれていないな、って気がついたんです。そう思ってみると、作品では、ハリーとジニーが一緒にいるところにハーマイオニーとロンが来ると、ハリーはそちらに行ってしまうからジニーはひとりぼっちになる、みたいな絵が確かに描かれていて、「あ、確かにそういうときに人は孤独を感じるだろうな」と納得しました。「さまざまな孤独がある」ということも、この作品から改めて学んだことのひとつです。
──ご自身の人生にも気づきがあるのですね。
そうです。あともうひとつ、ドラコのセリフに「子供を育てることは大変だと世の中の人たちは言うけれども、そうではない。自分が成長することが1番大変なんだ」 というのがあるんですよ。これはね、今自分自身が子育てをしながらすごく思っていることなんです。子供を育てながら感じることを咀嚼して、自分のものにしていくっていうのは本当にすごく大変なこと。だから、そのセリフも深いなぁと思って。自分では息子を守っているつもりでも、それが逆に息子を突き放していることになっていたり……そういうのって、あるじゃないですか。愛が故に、優しさ故にしていることが、実は人を傷つけてしまっている、ということは。だからもともと大好きな作品だったわけですが、さらに今、自分の人生を振り返る一助にもなっています。
──では改めて、舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』の魅力を教えてください。
一言で言えば、総合芸術としての素晴らしさだと思います。舞台セット、衣装、振り付け、巧みなセリフ、さらに素晴らしい音楽。音楽がね、本当にいいんですよ。入り方も曲調も、泣けてきます。そして、この作品のストーリーに含まれる、親子の関係や自分自身の成長、そして友情。ハリーはもちろん、たくさんの人間の孤独が描かれることによって、自分自身も多くの気づきを得られる、そんな作品だと思います。先にもお話しましたが、僕自身稽古場で毎回新たな気づきをたくさんもらっています。さらに、ハリー・ポッターシリーズとファンの人たちとの歴史、そういうものが感じられる作品でもあると思います。
──最後に、劇場にいらっしゃるお客さまにメッセージをお願いします。
多分、歴代で一番動きの速いハリーではあります!(笑)。意外と動くところが多いので、そんなときの体の使い方、体のあり方を見ていただきたいと思います。ただ、一番大切なことは「ハリー・ポッター」に見えること。もちろん僕の回では「大貫勇輔」を見ていただけたら嬉しいですが、それよりもこの作品の世界に没頭して、作品そのものを楽しんでいただけることが一番嬉しいですね。
(取材・文:小川聖子)
(撮影:森 浩司)
※大貫勇輔さんはハリー・ポッター役をご卒業されています(2024年9月現在)
女優 高橋ひとみさん
──オーディションだったと伺っています。そもそも、なぜオーディションを受けようと思われたのでしょう。
そうなんです。私もオーディションというものは、17歳の時に寺山修司さんの舞台のオーディションを受けたくらいしか経験がありません(※高橋は寺山修司の舞台『バルトークの青ひげ公の城』でデビュー)。だからドキドキしました(笑)。でも『ハリー・ポッター』は私にとっても特別な作品。あの世界の一員になれるのであれば、ぜひとも受けてみたい。しかもあのマギー・スミスさんが(映画で)演じたマクゴナガル校長という役を演じられる可能性があるのなら、どんなことをしてでも挑戦しなくてはという思いで受けました。
──『ハリー・ポッター』が高橋さんにとって特別な作品だというのは、どういう理由でですか?
私は小説ではなく最初にこの世界に触れたのは映画なのですが、小さい時に見た子たちだけでなく大人になって見た私たちにとってもワクワクする作品です。辛い幼少期を経て、仲間とともに試練を乗り超え成長していくハリーたちの物語が根本にあり、プラス、魔法というワクワクする要素がふんだんに詰め込まれている。それは本当に魅力的です。さらに、同じ俳優さんがシリーズ1作目から同じ役柄を演じ、劇中の人物とともに成長していくという点も好きなんです。私は『ふぞろいの林檎たち』('83年)でテレビドラマデビューし、これはパート4まで制作され、10代から40歳近くまでを劇中で演じました。だから回想シーンでは自分自身が演じたかつての映像が流れるんです。それをほかの俳優さんにすごく羨ましがられたんですよ。『ハリー・ポッター』も同じですよね。そういうシリーズものの魅力も私の好きなポイントです。
──そんな思いで受けられたオーディション、合格の報はどう受け止めましたか。
それが、なかなか合否の報せがなくて……。日本の芸能界の感覚ですと、わりとすぐ判明するものだと思っていたので、しばらく何も連絡が来ない時点で諦めかけていました(笑)。そうしましたら少し時間がたってから、かなり体力を使う芝居なのでそちらの確認をさせてくれと連絡が来ました。私はそれまでジムに行ったことがなかったのですが、「これはもしかして可能性あるかな」と、そこからジムに通いました(笑)。大型犬を飼っていますので運動はしているのですが、使う筋肉が違いますからね。
──「もう一度受けてくれ」と言われたら、「いけるの、どうなの」と期待と不安がすごそうです(笑)。
そうなんですよ……! でも体力面で不安がられてはいけない、そんな理由で落ちたくないと、必死で頑張りました。そういう面でも、ほかの作品とは違うなと感じました。その後、合格してから稽古スタートまでも時間がありましたので、引き続き体力増強に励みました。
──マクゴナガル校長でも、そんなに体力を使うのでしょうか……?
それは、彼女自身が動き回るということではなく、『ハリー・ポッターと呪いの子』という作品自体がものすごくスピード感があるんです。その世界を作るためにはやはり、誰ひとり落ちこぼれはいけない。マクゴナガル校長といえども、体力はとても重要です。
──マクゴナガル先生はシリーズ初期から登場するキャラクターですが『呪いの子』では校長になっていますね。本作におけるこのキャラクターの魅力は。
小さい頃からずっと成長を見てきたハリーが大人になり、『呪いの子』では魔法省の局長になっています。いわばお役人。対してこちらは校長です。ある意味自分よりハリーが上の立場になっている。複雑な気持ちもありますが、根っこでは母のような気持ちも抱いている。その揺れ動く関係性も見ていただきたいです。そして彼らの大切な子どもたちを預かる立場でもありますが、その子たちが大変な問題を起こしていきます。しばらく平和だった魔法界に事件が起こり、みんなで戦っていく。その戦いの手助けをする。映画同様、ハリーたちの一番の味方であるマクゴナガル校長はやっぱり魅力的ですね。
──先ほど仰ったように、マギー・スミスさんの印象が強いキャラクターかと思います。人気が高い役を演じる上で、心がけていることは。
やはり皆さんの抱くイメージを崩さないようにしたいですね。私も「マギー・スミスさんが演じるならどうするだろう」「どうやったら素敵だろう」とイメージしています。姿勢とか、シュっとされていますよね。醸し出す空気が凛としている。そこを目指しています。
──物語は魔法界の“大事件”とともに、私たちにとっても身近な家族の問題なども描かれていきます。
そう、それに友情も。魔法もすごいし、音楽や動きも素晴らしくジーンときますが、描かれている内容が本当に切ない。子どもたちの友情に、(同じくマクゴナガル校長役の榊原)郁恵さんは、稽古場から泣いていますよ(笑)。それに彼らの悩みや葛藤も、非常に胸に刺さります。あと忘れてはならないのがお父さん同士の友情。ハリーとドラコの間にあるものも、反発しあっているようで、友情だと思うんです。映画でも、見捨てればいいのに救うじゃないですか。やっぱり憎み切れないものがあるんですよね。子ども同士の友情、お父さん同士の友情、それぞれが素晴らしいので、そこはぜひ見ていただきたいです。
──今お話にあがったハリーの息子アルバスや、ドラコの息子スコーピウスの物語でもあります。大人キャストは高橋さんのような第一線の俳優たちが配役されていますが、子どもたちはニューフェイスの俳優たちで、彼らがどんなフレッシュな魅力を放つのかも楽しみなところ。高橋さんから見ていかがですか?
アルバスもスコーピウスも二人ずつ配役されていますが、それぞれまったく個性が違い、でも仲が良い。ひとりが「ここはこういう風に」と演出を受けていると、もう一方も食い入るように聞いています。スポンジのような吸収力で、そして助け合って高めているような感じ。素直で一生懸命で、彼らを見ているだけでジーンとします(笑)。私も新人の頃のニュートラルな気持ちを思い出しています。自分が浄化されているみたい。
──これからスターになりそう?
もう私の心の中ではスターですよ(笑)。彼らだけでなくアンサンブルたちの努力も素晴らしく、何かが上手くいくとみんなが拍手を送るんです。本当に学校の先生か、もしくはお母さんになった気分。郁恵さんと二人で日々、稽古場でうるうるしています。
──そして何といっても、魔法の数々がどう舞台上で立ち上がるのかが気になります。
演劇は“観客の想像力を使ってイリュージョンを起こす”という手法を取ることもできる芸術ですが、『呪いの子』はそういったタイプではなく、“本当の魔法”が舞台上に現れます。魔法を教えてくださるイギリスのスタッフの方が実際にマジシャンなんです。私たちも本当の魔法を何度も見せてもらいました。「今からこういうことをやるよ」という説明からではなく、実際に見て「今の何!?」というところから始まるんですよ(笑)。もちろん、やる方は覚えなきゃいけないのですが、稽古場ではキャスト同士も秘密。私もどうやっているのかわからない魔法もいっぱいあります。しかもそれを「今日は上手くいったね」ではなく、完璧を目指し訓練する。教えてくれるスタッフも完璧でないと許してくれない。何十回、何百回と稽古し、先生も諦めず根気よく教えてくれています。大変ですがそれが楽しいです。
──ほかに、高橋さんが感じている舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』の魅力は。
魅力はありすぎますが、場面転換の美しさは挙げたいですね。場面が変わったとわからないくらいなめらかに繋がっている見事さに加え、音楽と動きの美しさもある。しかもそれを全部キャストがやる面白さがあります。あとはやはり舞台ですので、生で、目の前で俳優が演じる緊張感、ドキドキは特別です。魔法にしても、映像だといくらでも効果を加えられますが、舞台では実際に同じ空間でその魔法が見られます。本当にハリー・ポッターの世界にお客さまが入り込める。そんな空間になっています。ぜひ楽しみにいらしてください。
(取材・文・撮影:平野祥恵)
女優 早霧せいなさん
──6月のプレビュー公演から始まった舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』。開幕から約3ヵ月たって、現在どんな心境ですか。
無期限ロングラン公演というのも初めての経験ですし、お稽古が始まるまではとても不安でした。それはペース配分などの体力的な面はもちろんメンタル面に関しても、想像できないだけに不安だったんです。でも今、稽古から考えたらもう半年くらいこの作品に携わっていますが、毎日楽しいです!
──それは、どういうところに要因があると思われますか。
まず脚本がすごくいい。さらに演出のおかげもあります。バラバラのバックボーンを持っているキャストの皆さんが、同じ方向を向いて舞台に立っているのを感じられるんです。それは海外クリエイティブスタッフの皆さんがそう導いてくれたから。最初から相手へのリスペクトとチームワークを大切にし、エネルギーを持って舞台に立つことを叩き込んでくれました。おかげで日々楽しいし、やりがいをとても感じています。さらに、舞台には本当にすごい魔法がたくさん出てくるんです。安全面に気を付けなくてはいけないこともたくさんある。しかも一般的な舞台作品に比べて、「自分の台詞でこれ魔法が発動する」「ここに立たないと仕掛けが動かない」といった“きっかけ”がたくさんあるんです。気を遣う部分が多いというのも、ピリッとする要因のひとつで、そのおかげで鮮度が保てている面もあるかもしれません。何か間違えると命に関わるので(笑)。
──今おっしゃったように、本当にいい脚本ですよね。ハリー・ポッターシリーズらしい魔法と冒険の物語でありながら、共感性の高い“家族の物語”でもある。早霧さんが感じている物語の良さをもう少し教えてください。
毎回、最後のシーンは舞台袖で見ているのですが、「あー、今日もいい話だった!」と、お客さまと一緒に拍手しています(笑)。本当にいい話だとしみじみ思うし、響く台詞が日ごとに違う。今日はこのキャラクターの台詞が染みたな、ということが、役としてもですが、袖で客観的に聞いていても違う。たぶんそれは、子どもから大人まで、どの世代にも響く台詞が散りばめられているからだと思います。大人は自分が思春期だった頃にタイムスリップして親との関係性などにも思いを馳せながら観るだろうし、若い方はもうこの世界にどっぷり入っていける。子どもの成長物語でもありますからね。だから本当に飽きない。戯曲が良いというのはこういうことか、と実感しています。
──親子愛はきっとどの世代にも響きますね。
本当に。……変な親ですよね、ハリーって(笑)。変な人だなって思うのですが、でも、魔法界を救った英雄が、子育てでこんなに苦労しているんだなというのは、親近感を覚えます。「そんなこと、子どもに向かって言っちゃダメだよ……」ということをいっぱい言っちゃってるし。子育て、下手ですよね。「ああ、ダメだなあ」と思って、こちらが支えてあげたくなるようなキャラクターだというのも、ハリーの魅力なんでしょうね。
──そして早霧さんが演じているのがハーマイオニー・グレンジャー。世界中で愛される原作と映画があって、特にハーマイオニーは人気キャラクターです。その役を演じることに対するプレッシャーはありましたか。
それが……私、あまり原作に詳しくなくて、「メガネをかけた男の子の話」程度の理解だったんです。ファンの方には本当にごめんなさい、なのですが、ハーマイオニーも「魔女のひとり……?」くらいの認識で。もちろんオーディションの時にはちゃんと勉強し、ハリーの友だちだと心して行きましたが、スタートがそんな感じだったので、プレッシャーを感じずにオーディションに臨んでいました。ただ、キャストが発表になった時に、とても大きな反響をいただいたんです。「小さい頃から原作を読んでいて、ハーマイオニーは大好きなキャラクターです」という、特に女性のファンの方がたくさんいらして、お手紙などをいただいて、これは大変だと。自分のバイブルのように思っている方々がこんなにいる、と気を引き締めました。ただ、映画などで皆さんが思い描くハーマイオニーと、この『呪いの子』のハーマイオニーは、多分ちょっと違うんです。なにせ『ハリー・ポッターと死の秘宝』から19年後、年齢も違いますし。
──映画版などとは、ずいぶん印象が違う。
マグル(魔法を持たない人間)出身で、コンプレックスを抱えながら魔法大臣にまで上り詰めた女性。そこに行くまでどんな大変な思いをしてきたのか、その強さ、信念、意志の強さを持って、舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』のハーマイオニーは存在しています。映画のエマ・ワトソンを想像して舞台を観にきた方には強すぎる女性に見えるのではという心配は、同じハーマイオニー役の中別府葵ちゃんとしていました。「こんなに怒る必要ある?」「こんなに強くなくても良くない?」と私たちもちょっと思ったし、でも少し柔らかく演じると、「もっと強く怒って!」と演出されるので、そこはもう、『呪いの子』のハーマイオニーはこうなんですと、キャラクターとしてしっかり打ち出すものを出して演じています。なので、プレッシャーはなかったのですが……エマ・ワトソンさんみたいに、可愛くやりたかったなという残念な思いは、あります(笑)。ただ、ロンを夫にする女性っていうのも、別の意味で可愛らしさを感じます。強さだけではない面をきっとロンに見せて、そしてしっかりロンが支えてくれるんだろうなと。いい夫婦ですよね。
──稽古から始まって半年、ハーマイオニーについて最初のころと違う気付きがでてきたというようなところはありますか。
魔法大臣になったハーマイオニーは、とにかく背負っているものが大きい。どちらかというと朗らかというより、常に怒っているようなキャラクター(笑)。誰かしら、何かしらに怒っている。演出補のコナー・ウィルソンからはエネルギッシュに、スピード感を大事にと言われていました。エネルギーを持って誰かと向き合うということを自分に叩き込んで役を作り上げていたのですが、プレビュー公演でお客さまが入ったことにより、自分の中で緩急を意識的に作るようになりました。お客さまが入ると反応がわかりやすいですので。強く出るだけでは強さの幅が出ないので、緩めるところは緩める。笑いのポイントも、みんなで波を作ると本当にウワっと沸く。そこは夫であるロンと一緒に試行錯誤していました。本当にプレビュー初日で「ここ、面白かったんだな」と気付くくらい大きな反応がいただけたので、それは確実に自信になり、「じゃあこっちもチャレンジしよう、こうしてみよう」ということを日々試せています。ですから、絶対、6月と今ではかなり変わっています!
──海外チームとのクリエーションで、印象的だったことを教えてください。
演出はおそらく、世界のどこの国のものも大きく変わっていないはずなんです。たとえば2019年に開幕したメルボルン版や今年5月に開幕したトロント版でここが変更になったので……と、東京版でも新しい演出が加えられたりしています。だから動きや、やることは一緒。でも「誰が演じるのか」をとても重視してくれます。ハーマイオニーは私と中別府葵ちゃんですが、私がやるハーマイオニーはこうするのがいいのではと、その人を大切にした導き方をしてくれる。この時点でここに立っていて欲しい、ここはこれくらいのエネルギーを持って台詞を言ってほしいといったような制約はあるんですよ。でも、山の頂点には行く必要はあるけれど、どのルートを登ってもいいというような自由度がある。長くやっていても鮮度を保てているのは、そのおかげもあると思います。
──具体的に、早霧さんと中別府さんで言われたことが違う例などありますか?
あります。……たぶん(笑)。たぶんというのは、意外とお稽古を一緒にしていないんです。4月の稽古は一緒でしたが、5月からは劇場で、実際の舞台をつかった稽古になり、そこからは一緒にやっていなくて。でも面白いのは、演出家・演出補が3人来日しているんですね。演出家のジョン・ティファニーさんと演出補のデス・ケネディさん、演出補のコナー・ウィルソンさん。3人、少しずつ好みが違うので、あるシーンで「もうちょっと笑ってほしい」と言われてみんなで明るく笑ってたら、別の方に「そこまで笑わなくてもいい」と言われたりも(笑)。でもキャストはみんな勘がいい人たちだから、何の要素が多すぎて何でそう言われたのかちゃんと察知するんですよね。同時に3人の好みも察していく(笑)。私はコナーの演出を多く受けたので、コナー色に染まっています。葵ちゃんたち、後からのデビュー組はデスの演出を色濃く受けている。私たちは演出全部を聞いているわけではないのでわからないのですが、全演出を見ていた日本人の演出助手の方によると、キャストによって全然違うことを言われていて、でもそれはその人の個性を活かしている演出だとおっしゃっていました。
──俳優によって個性が違っている……ということで、ハリー・ポッター役が3人いて、8月には全員デビューされました。すでに3人のハリー全員と共演していますが、早霧さんが感じる藤原竜也さん、石丸幹二さん、向井理さん、それぞれの魅力を教えていただけますか。まず藤原竜也さんは。
私はほぼ藤原竜也さんとしかお稽古していなかったので藤原さんの印象が強いのですが……藤原さんは、とにかくこの作品のエネルギーやスピード感をキャッチするのが早かった! あまりに早かったので、ロン役の竪山隼太君と「私たちは藤原君のペースにあわせていたら上っ面な演技になってしまうから、自分たちのペースでやろう」と言い合ったくらい、藤原さんは集中力がすごい。でもこの話、違う次元の世界(パラレルワールド)が登場するのですが、「これ、どういうこと?」と息子のアルバス君に聞いていて、アルバス君もびっくり、みたいなことがありました(笑)。感性で演じることができちゃうんでしょうね。でもそこの理解が深まってからはまた演技が変わって……。ハリーとハーマイオニーが対峙するシーンが前半にあるのですが、藤原さんがすっごいエネルギーで、すっごい目力なので、こちらも毎回、すっごく力を入れて負けないようにしています。そのシーンが終わって扉を閉めて出ていった瞬間に「今日も楽しい芝居ができた!」と爽快感を味わえる。そういう実感を与えてもらえる俳優さんと一緒にやれているというのは本当に嬉しいことです。こういう充実感を感じたことって、役者人生でそこまでない。藤原さんのすごさは見ていただけでも感じていましたが、一緒に舞台に立って言葉を交わして改めて感じています。本当に日々、幸せです。
──石丸幹二ハリーは、どんな印象ですか。
石丸さんはやっぱり優しい方なんですよね。その優しさを封印して、怒ったお父さんを演じなさいと言われていたのですが、それでもやはり優しさがにじみ出ている可愛いハリーです。一番年上で、キャリアも長い方ですが、もしかしたら一番キュートなハリーかもしれません。すごく困った顔とか、すごく嬉しそうな表情が見れた時はこちらも自然と笑顔になりますし、ハリーが理想のパパになろうとする姿が、石丸さんの優しさとフィットするんですよね。そういう意味で、支えたくなるハリーです。
──向井理さんのハリーは、いかがでしょう。
まだ2、3回しか舞台ではご一緒していないのですが、向井さんの初日は、私は出演していなかったので客席から観たんです。その時に、ご自分が描いているハリー像があって、そこを繊細に丁寧に演じる方だなと感じました。一緒にやっていても、繊細で頭脳派なのが伝わります。ハリーとして頭の中で色々と計算しているのが、目のお芝居などから伝わってくる。そこをハーマイオニーとしては「この幼なじみは何をしようとしてるの」と探りたくなるような。「ひとりでやらせないように止めなきゃ、ちゃんと助けなきゃ」という思いを抱かせる。頭脳派ハリーですが、何を考えているのか探りたくなるハリーですね。
──この舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』は、早霧さんの俳優人生に、どんな影響を与える作品になりそうでしょうか。
私は宝塚時代を含め、舞台に立つようになって21年たちます。宝塚ではトップまでさせていただきましたが、そこに行くまでに、新人公演の主役、バウ公演の主役と、段階を追って、徐々に自分の中で責任やプレッシャーを抱えて舞台に立っていたように思います。トップとして宝塚を卒業した時点でいったんその荷を下ろしたのですが、その後もそのキャリアを背負って、「この舞台に呼んでもらった以上、その期待に応えたい」と、求められた以上の結果を出すことが私の仕事だと思ってやっていました。……なのですが、この『ハリー・ポッターと呪いの子』で、その意識が取れたんです。すごくいい意味で、まっさらな気持ちになったんです。宝塚の下級生時代……研3の頃の、ただただ舞台に立つことが楽しくて、もちろん責任もあったけれど、それは等身大のもので、それ以上の背伸びはしていなかった時代の気持ちになった。役と向き合い、目の前の人と芝居をし、お客さまに届ける。そういうシンプルなところに戻れた。お芝居ってこういうものだったな、こういうことが楽しくて私はお芝居をしていたんだなという感覚に行きつけました。それが意外だったし、楽しいんです。シンプルに、舞台に立つことを楽しめています。それはやはり、リスペクトし合えている仲間たち、その雰囲気づくりをしてくれたクリエイティブチームのおかげで、役と向き合うことだけに集中できているからだと思う。その安心感。そして何と言ってもいい脚本、いい演出だというのが大きいです。自分が出演していない回を客席から観て、すべてのストーリー展開、仕掛けをわかっていても、すごく面白かった。本当にいい作品で、自分が関わることができて、幸せです。
(取材・文・撮影:平野祥恵)
※早霧せいなさんはハーマイオニー・グレンジャー役をご卒業されています(2023年8月現在)