長塚京三、麻実れい、田島優成、朝海ひかる、柄本佑といった、個性豊かな役者が演じる『みんな我が子』が幕を開けた。
この作品は、アーサー・ミラーが劇作家として認められたデビュー作で、日本ではほとんど上演されていない。 演出を手がけたのは、アメリカ演劇界の巨匠、ハロルド・プリンズに師事するダニエル・カトナー。
彼らが第二次世界大戦後のアメリカを描いたこの作品をどう創り上げるのか? 「戦争」というテーマが背景にあるだけに、言葉や文化の壁を越えられるのか? 期待と不安が入り交じる気持ちで座席に着いた。
物語は、アメリカの町はずれに暮らす家族に起こった1日の出来事。家族を守るために成り上がった父(長塚)。戦争で行方不明となった二男の死を認められず、傷つきながらも家族を守ろうとする母(麻実)。父の工場で過去に起こった事件に後ろめたさを感じながらも父を信じる長男(田島)。この家にある日、行方不明の二男の恋人だったアン(朝海)が訪れる。彼女の訪問によって、ギリギリで均衡を保っていた家族がバランスを崩していく――。
何気ない会話やちょっとしたせりふに、戦後まもなくのアメリカ社会の混沌に対するミラーの訴えが込められている。そこが日本人が演じる上での難しさだが、役者たちはそれを読み取った上で演じ、舞台上で役として生きていた。演出のダニエルも、このアメリカ的な作品を日本の役者で上演するということに悩んだというが、「これは普遍的な家族劇である」という答えを見つけ、言葉や文化の壁を越えた。
そして物語は衝撃のラストを迎え、母の祈りにも似た「生きるの」という言葉で幕を閉じる。稽古場で長塚は、戦争を描いたこの作品を「鎮魂の気持ちを込めて演じたい」と話していた。戦争を知る人が少なくなってきた今だからこそ、語り継いでいか
なければいけないことがある。ミラーは、作品を通して私たちに「戦争(それぞれに起こる困難)を越えてどう生きるか?」と問いかけてくる。もちろん観客の数だけ答えがあるだろう。私は、自然と母の気持ちとなり、家族のこと、これからのことにつ
いて想いを巡らせていた。
60年以上も前に書かれたこの作品だが、実に巧みに物語が構築されている。そこが色あせない理由のひとつだろう。「普遍的な家族劇」に様々な感情を揺さぶられた、充実した二時間半だった。
(石本真樹)

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