Interview
19世紀末のイギリス・ロンドンを舞台に、オスカー・ワイルド、ロバート・ロス、アルフレッド・ダグラスという実在した三人の男たちの物語を描いたミュージカル『ワイルド・グレイ』。2021年に韓国で上演すると話題となり、2023年には早くも再演された注目作が日本に初上陸。日本版は、劇作家で演出家の根本宗子が脚本・演出を務め、福士誠治×立石俊樹×東島 京、平間壮一×廣瀬友祐×福山康平の2チームによって演じられます。今作でロバート・ロス役を演じる福士誠治さんにお話を聞きました。
一番欲しいものが手に入らない切ない男たちを描いた物語
福士誠治さん
―― ミュージカル『ワイルド・グレイ』への出演が決まったときはどんなお気持ちでしたか。
この作品を直接知っていたわけではないのですが、過去に韓国発のミュージカルをやらせていただいたこともあり、韓国には魅力ある作品が多いなと思っていました。また、3人でやるミュージカルというのも初めてで、新たな挑戦ができることも魅力でした。
―― 今は11月下旬ですが、どのような準備をされていますか。
ちょうど歌稽古が始まったところです。韓国のミュージカルなので、もとの歌詞はハングル、それを日本語に置き換えたものを、ひとつひとつ音や意味を確かめながら進めている段階です。まだまだ「表現」にまでは至っていない、言ってみたら「レベル2」くらいの状況ですね(笑)。ここから台本と擦り合わせながら、相手への想いをどうのせるか、楽曲としてどんな表現にしていくかを考えていく予定です。この作品は楽曲が本当に素晴らしくて、韓国ミュージカルらしい切ないメロディーを奏でる、ピアノ、バイオリン、チェロの音色がいっぱいに広がる空間がとても心地よいです。この作品における音楽の役割はとても大きいと思います。
―― 今作は、『サロメ』や『ドリアン・グレイの肖像』などの作品で知られ、退廃的、耽美的と言われた19世紀の作家、オスカー・ワイルドと、彼を取り巻く人々の、史実を元にした物語となっています。作品の印象や魅力についてどのように感じていますか。
切ないなと思いました。この作品に出てくる三人の男たちは、自分が最も手に入れたいものをどうしても手に入れられない人たち。もし歯車が噛み合えば、三人とも素晴らしいものを勝ち取れたかもしれないのに、歯車がうまく噛み合わないばかりにそれがうまくいかない。ただ、人間にはそういうことがよくありますので、切なくはありますが、それもまた現実なのかなと思います。
十字架を背負うことになっても後悔しないのがロス
―― 福士さんが演じるのは、オスカー・ワイルド(立石俊樹さん)の支持者で彼を支え続けたと言われるロバート・ロスという人物です。
ロスは、オスカー・ワイルドという天才芸術家に魅せられた人間です。そしてワイルドは芸術や美というものに魅せられた人間。ロスはワイルドを支えたと言われていますが、この台本を読み込んでいると、本人にその意識はあまりない気がしました。周りからは「君がワイルドを支えているね」と見えたとしても、ロス自身は純粋に「とにかくワイルドと共に生きたい」、「一緒に時間を過ごしたい」と思っていただけじゃないかという気がしますね。だからロスはワイルドの作品に携わり、一緒に働いて、共に願いを叶えていく生き方を選んだのではないかと思いました。ワイルドにとって、美や芸術は何よりも優先すべき大切なもの。一方のロスは、決して芸術を解さないわけではありませんが、それでも、ルールは自分だと言わんばかりのワイルドの極端な考えを理解するのは大変だったと思います。彼らの歯車が狂っていくのは、その辺りのすれ違いからなのかもしれません。
―― そこに現れるのが、ワイルドの著書『ドリアン・グレイの肖像』に登場する美青年ドリアン•グレイにそっくりのアルフレッド・ダグラス(東島 京さん)です。
ワイルドはもともと社交的で、交友関係も広い人物。ですからロスも最初はそこまで「邪魔された」という意識はなかったと思います。ただ、ワイルドの、ちょっと常軌を逸したダグラスへの興奮ぶりには、口には出さない嫉妬心を抱いていたでしょうね。それでもロスにはどこか母親のような優しさや、慈悲のようなものを持っている人。ダグラスやワイルドが感情のままに突っ走ってしまうのに対し、ロスは決して感情だけに流されることなく、ワイルドが社会の中できちんと居場所を得られるように行動します。そんなロスを見ているとつい「ロスはワイルドと出会わなかったら、もっと幸せになれたかも」と思ってしまいますが、本人的には「僕はワイルドと出会えたからこそ、自分の知らない自分の感情に出会えた」と考えているのかもしれません。だから、たとえ十字架を背負って生きていくことになっても決して後悔はしない、ロスはそんな人間なんじゃないかと思います。
ロスの優しさをどう表現していくか
―― ワイルドは同性愛者ですが、妻もいれば、家庭もあり…。さらにはダグラスという存在も現れるので、ロスが気の毒になってしまいます。それでも彼は幸せを感じられるのでしょうか。
そう、ロスは下世話な言い方をしたら、「三番目の男」ですよね(笑)。それでもロスはひたすら、ワイルドと「会っている時間」をとても大切にしているような気がします。自分が思いを寄せる人との繋がりを考えたとき、当時は今のように携帯電話があるわけでも、インターネットがあるわけでもありません。離れている時間にはなすすべがなく、下手をしたらそれきりになってしまう恐れもあります。だからこそ、ロスは自分の辛い境遇や気持ちに向き合うより、ワイルドと一緒にいる時間を幸せなものにして、心を動かすことのほうに集中しようとしている気がします。
―― ロスの役づくりで意識されようと思っていることはありますか。
これは僕が今の段階で漠然と考えていることなので、今後、脚本・演出の根本宗子さんとセッションする過程で変わっていく可能性もありますが、ひとつのポイントは、ロスが抱えている悩みや感情をどう溢れ出させるか、というところかと思っています。普段はコップ7分目くらいで我慢しているワイルドへの思いが溢れそうになったとき、それでもロスはその気持ちを隠そうとします。それは彼がワイルドに心配をかけまいとする優しさからなのですが、そんな彼の優しさを、全編通してどのように表現していくか。「ここでやることは何もない」というシーンは、おそらくひとつもないと思っています。ワイルドは芸術や美しいものに興奮し、それを言葉巧みに表現できる人ですが、ロスは逆に、心と言葉が直結しない人間のような気がします。だからこそ、ワイルドはしゃべっているけれど、ロスは黙っている……というシーンなどが、実はとても大切になっていくのではないかと思いますね。
―― 近年は同性同士の恋愛を描いた作品も多く、演じる側も見る側も、多様な生き方や選択を受け入れやすくなっているように感じます。
そうですね。同性同士の恋愛というところは意識しないで演じると思います。人と人の関係であるところは、性別に関わらず同じ。ロスにとってのワイルドは、「この人がいるだけで自分の人生の色が変わっていく」と感じられるほどの特別な存在です。ロスが抱いている思いは、単に「ワイルド大好き!」「一生一緒! 愛してる!」みたいな、ピンク色の、ときめき的なものではありません。もちろんそんな段階もあったかもしれませんが、もはや見返りなど求めず、自分がずっと想っていくという覚悟のある愛なので、その想いを大切にしていきたいです。
―― 演出の根本宗子さんとはもうお話をされましたか。
歌稽古の際に初めてお会いしたのですが、まだそこまで深くはお話しできていないです。ただ、気さくで話しやすい雰囲気でしたし、「ここに悩んだんです」「この歌詞に時間がかかりました」など、作品への思いや状況をストレートにお話ししてくださるので、今後セッションを重ねた際には、共通言語で物語を作っていけそうだと思いましたし、ぜひそうしていきたいと思っています。
19世紀は芸術家がより純粋な時代だったのかも
―― 今作は芸術と愛に翻弄された人たちの物語ですが、ご自身と比べるといかがでしょうか。
タイムスリップして見てきたわけではないので、本当のところはわかりませんが、ワイルドたちの時代は、芸術家がより純粋だったというか、芸術家の生き方そのものが芸術だったような、そんなイメージを抱きました。僕たちの時代は、もちろん全員が全員ではないと思いますが、どこか人生と切り離すこともできる、職業としての芸術家……という場合もある気がします。もちろん、昔が美化されているという可能性は高いですが、当時の作品のほうが、「この絵が好きだ!」「この音楽が好きだ!」という真っ直ぐな思いが込められているような気がします。僕も自分が活動していく上で、そんな純粋な気持ちになれたらいいなとは思います。出会った一作品、一作品の深い部分まで、自分がどこまで追求できるか、その取り組み自体を楽しんでいけたらと思っています。
―― 最後に、舞台を観にくる方にメッセージをお願いします。
三人芝居は、三人という少人数であるからこそ、ひとりひとりの人間というものが伝わってくる形式だと思います。三者三様のカラーが舞台というパレットの中でどう混ざり合っていくのか……。このお芝居は、三人の俳優という芸術家が、「ワイルド・グレイ」という作品に出会い、そのエッセンスでさらに新しい芸術を作り出す…そんな風に見ることもできるかもしれません。回を重ねることで変わっていく部分も大きくなりそうなので、お客様にはぜひその様子も楽しんでいただけたらと思っています。
(取材・文/小川聖子)