ストーリー
啄木の短くも色濃い人生、
複雑な人間模様
物語は、石川啄木がわずか26歳で亡くなった後、妻の節子が夫の残した日記を見つけ、読み始めるころから始まります。そこには啄木が亡くなるまでの最後の3年間、貧困や病に苦しみながらも、文学活動に邁進する姿、そして彼を巡る人々の人間模様が書かれていて……。
誰もが知る歌人・石川啄木の人生を
描いた評伝劇が24年ぶりに上演
こまつ座第156回公演『泣き虫なまいき石川啄木』は、夭逝の歌人・石川啄木の人生を「青春葬送曲」として井上ひさしが綴った戯曲。「泣き虫で生意気で夢想家」という人間味溢れる啄木の苦しくも豊かであった色濃い人生が、笑いと涙を交えて描かれます。
※「啄」はキバ付きが正式表記
啄木の短くも色濃い人生、
複雑な人間模様
物語は、石川啄木がわずか26歳で亡くなった後、妻の節子が夫の残した日記を見つけ、読み始めるころから始まります。そこには啄木が亡くなるまでの最後の3年間、貧困や病に苦しみながらも、文学活動に邁進する姿、そして彼を巡る人々の人間模様が書かれていて……。

西川 最初に触れたとき、家族や友人とのねじれた関係性や複雑な感情がちりばめられていて、すんなりとは解釈しきれなかったんですよ。ただ、明治時代のお話ではあるんですけれど、ビビッドな感情がぐっと刺さってくるなというのはファーストインプレッションとしてありました。読み解いていくうちに、やっと自分の中でまとまってきたなという感覚があります。
眞島 こまつ座の芝居にずっと出たいなと思っていたので、ようやく叶いました。今回に限らず、井上先生の作品の魅力は今を生きている私たちと地続きなところ。たとえば『泣き虫なまいき石川啄木』は明治時代ですし、登場人物は誰もが知る歌人の石川啄木ですが、描かれているものは今の時代にも通じるし、共感するところもある。そして現代を生きる僕たちにもすごく訴えかけてくるものがありますね。
西川 石川啄木といえば、〝教科書に出てくる人〟という印象でした。台本を読み進め、役作りをしている今は「お前、もう少ししっかりしろよ」と声をかけたくなるような(笑)、頼りない後輩のように思えるときもあれば、ふっと遠い存在になるときもあって。今回の作品では、家族や親友の金田一京助など周囲にいる人物たちとの関係性の中で啄木が描かれるので、それぞれから見る啄木像もまた違ってかなり多面的です。掴めているようで、掴めていないような……、そんな感覚があります。なので、今は焦らずに丁寧に作っていこうと思っています。
眞島 まだ読み合わせが始まったばかりですけれど、今の時点で思うのは、石川啄木は、誰もが認める才能がありながらも、ものすごく高い理想に向かってもがいていた人。借金を踏み倒したり、ろくでもないこともいろいろとやっていますが、それでも周囲の人たちに何とかしてあげたいと思わせる不思議な魅力を持った人でもある。僕が演じる金田一京助は、そんな啄木の親友であり、よき理解者。誰よりも啄木の才能を世の中に出したいと強い意志がある一方で、彼の才能に誰よりも嫉妬もしていて。それぞれに複雑な感情を抱えながらも付き合いが続いていたんだろうなと想像しています。
西川 当時の短歌や詩というのは、言葉で装飾して美しく昇華しているものが多かった中、啄木はそこから抜け出て、もっと地に足をついた言葉を紡いでいきたいというような言葉も残しています。実際に詠んだ歌にも、若さゆえの生々しい怒りや憤りが綴られているものがあるんですよ。たとえば、若いときに一度でも自分に頭下げさせた人は全員殺してやりたいとか (笑)。そういう感情ってモノづくりをしていると、特に若いときにはあって当然だと思うし、なかったら立っていられない。人間味が溢れる若者の鬱屈した思いというのは、明治だとか令和だとか関係なくありますよね。実際に僕も20歳くらいのときに同じような憤りを抱えていました。当時のことを思い返すと、僕も2~3人の顔が頭の中に浮かんできます(笑)。
眞島 作品の細かな台詞は、井上先生が当時を想像して書いてらっしゃるんでしょうけど、啄木と金田一の友人関係を始め、親子関係であったり、嫁姑であったり、その関係性や繰り広げられるやりとりは、現代を生きる僕たちにも違和感なく重ねることができるし、すっと入ってくるんですよね。そんなところが作品をとても身近なものに感じさせてくれるような気がしています。
西川 啄木にまつわる資料は膨大にあるんですよ。歌集も読みましたが、この作品の発端にもなった日記は役作りには大きく影響していると思います。ただ、稽古に入って台本を読み進めていくと、両親との関係や妹から見た啄木も出てきて。情報が多すぎても散漫になって、作品の中の啄木に意識が向きづらくなるので、今はインプットを止めて、台本の台詞を覚えることに集中しています。
眞島 まずは石川啄木の世界観に入っていこうと思って、歌集『一握の砂』を読むところから始めました。リズムがすごく独特で読んでいて面白いんですよ。存在は知ってはいましたが、そこまで具体的にイメージはなかったので、あらためて啄木というのは感性の方だなあと実感しています。演じる金田一京助に関しては、経歴などを読み進める中で、言語学者って一体どんな職業なのだろう、なぜその道を選び、アイヌ語に興味を持ち、研究に没頭していったのか、とても興味深い人です。まだ理解できていない部分も多いですが、稽古を重ねる中で、咀嚼していきたいなと思っています。
西川 印象に残っているということでいうなら、先ほども少しお話した、若さゆえの憤りを鮮やかに描いた「一度でも 我に頭を 下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと」がやはり衝撃的でしたね。『一利己主義者と友人との対話』という散文集の中に一秒が惜しいということを「一生に二度とは帰つて来ないいのちの一秒だ。おれはその一秒がいとしい」と表現していて、それも素敵だなと思って読みました。
眞島 台詞にも出てくる「たんたらたらたんたらたらと 雨滴が 痛むあたまにひびくかなしさ」ですね。読み合わせでもなかなか口が回らなくて、今はこの歌のことで頭がいっぱいです(笑)。
眞島 この作品は家族とか友人とか、いちばん身近な人間関係を描いています。身近だからこそ煩わしいときもあるけれど、でもコミュニケーションを取っていること自体が実はものすごく幸せなことなのかもしれないなと感じるし、ささやかな幸せの見つけ方のようなものが散りばめられているなあとも思っています。その一方で、命の儚さも描かれているので、本当に切なくもあるんですよね。どちらもどう伝えることができるのか、どう感じ取っていただけるのか、まだまだ探しているところです。
西川 演出の鵜山仁さんや共演者の皆さんとともに、見てくださる方に何を届けられるのか、どう伝えるのか、今まさに探しているところです。とはいえ、年代や置かれている境遇などによって、そして登場人物の誰に共感するのか、誰と同じ目線になるのかによって、持ち帰ってもらえるものはおそらく違うだろうなという確信はあります。一見すると、病や喧嘩、挫折といったネガティブなことが描かれている作品ではありますが、眞島さんがおっしゃったように、その裏にある人生のささやかな幸せというものも確かにあって。見てくださった方が、どこを受け取ってくれるのか、そこはすごく楽しみですね。
(取材・文/幸山梨奈)
(撮影/中村麻子)
【出演】
西川大貴
北川理恵
山西惇
那須佐代子
深沢樹
眞島秀和
【作】
井上ひさし
【演出】
鵜山仁
スペシャルトークショー開催
※スペシャルトークショーは、開催日以外の『泣き虫なまいき石川啄木』のチケットをお持ちの方でもご入場いただけます。ただし、満席になり次第ご入場を締め切らせていただくことがございます。