B'z チケット情報

B'z

B'z(ビーズ)は、ギタリストの松本孝弘とボーカリストの稲葉浩志からなる日本のロックユニットである。所属事務所はVERMILLION。所属レーベルはVERMILLION RECORDS。公式ファンクラブは「B'z Party」。 1988年にシングル『だからその手を離して』とアルバム『B'z』の同時発売でデビュー。1990年発売の5thシングル『太陽のKomachi Angel』で初のオリコンチャート1位を獲得し、同年発売の4thアルバム『RISKY』、1991年発売の8thシングル『LADY NAVIGATION』が初のミリオンセラーになるなど作品が次々とヒットしており、これまでにシングル15作品、アルバム19作品がミリオンセラーとなっている。中でも、1998年発売のベスト・アルバム『B'z The Best "Pleasure"』は日本国内の音楽史上で初めて売上枚数が500万枚を突破したほか、同年発売の『B'z The Best "Treasure"』との2作品合計で約1000万枚の売上枚数を記録している。2007年にはアジア圏のミュージシャンとしては初めて「ハリウッド・ロックウォーク」に殿堂入りした。2008年にはギネス世界記録から「日本でもっともアルバムを売り上げたアーティスト」の認定を受けている。 1989年から「LIVE-GYM」と冠するライブは、これまでに日本国内のライブハウスからスタジアム、日本国外までの様々な会場で開催しているほか、各種音楽イベントにも出演している。 「B'z」の名称についてメンバーはインタビューなどで「深い意味はない」としているが、「現代的な記号のようなものがいい」というものがあり、企業ロゴのように意匠化しやすいものを求めていた。 これまでにB'zの2人が説明している名前の由来は一貫しておらず曖昧なものが多く、2012年のインタビューで松本は「昔は適当に答えていた」と述べている。これまでの説明としては、下記が挙げられる。 「終わりにZをつけるのが最初に決まって、スタッフと考えた結果『B'z』になった」 「『Z』を使用したいことに男性的なニュアンスのある『B』を合わせた結果が『B'z』」 1995年に使用していたB'zのロゴに因んで「蜂の群れ(Beeの複数形)で『B'z』」 「英語のアルファベット最初の文字と最後の文字『A to Z』を用いて『AからZのすべてをカバーする』という意味を込めた『A'z』(アズ)を候補に挙げたが、『A'z≒エイズ(AIDS)』と読まれる可能性があり、別の案を検討した結果『Aの次はBだろう』という理由で『B'z』となった」。 「『B』から始まる名前は力強いバンドが多く、『B'zだと憶えやすそう』という意見もあり決まった」 「『A'z』の案『ギターのエース』と『ボーカルのエース』のジョイントに由来しているが、発音しにくかったため、『B'z』とした」 「昔は『ビートルズ(The Beatles)の"B"と、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)の"Z"』って答えたこともある」 ビーイング創業者である長戸大幸によると、バンドを作る度に商標を取らなくてはならないことが大変であり、当時は「JT」(日本たばこ産業)や「JR」(旧日本国有鉄道の民営化に伴うグループの総称・略称)などのネーミングが世の中に出てきた頃であったため、当初はユニット名を「A'z」(アズ)にしようとした。ところが、同時期にロート製薬の「AtoZ」がテレビCMで頻繁に流れていたので、周囲から「ロート製薬からとったでしょ」と言われるようになったので、「A'z」でのテスト盤をすべて止めて「B'z」にしたと述べている。 「B'z」の発音については、世間的に抑揚をつけない平板な読み方の「ビーズ」(例えば「リール」「レール」に近いもの)が一般的になっているが、本人たちや関係者は「ビィズ」と「ビ」にアクセントを置いて読んでいる(例えば「プール」「シール」に近いアクセント)。 平板な発音の方が一般に定着した理由について、NHK放送文化研究所は「(NHKの)番組内での発音については、責任者が決めている」と前置きした上で、「ギター、ドラマ、映画、ディレクター。こういった言葉は、かつては頭を高くした発音がされていたと思うのですが、今は平たく言うほうが主流ですね。日本語の習性として、言葉が出来て、馴染みが薄いときには頭にアクセントを置く、そしてその言葉が口をついて出る回数が増えるにつれ、どんどん後ろに移動して、落ち着いていくというものがあります。「ビーズ」と平べったい発音になるのは、自然の流れなのではないか」との見解を述べている。 オフィシャルウェブサイト「BIOGRAPHY」を参照。 当初、松本は少人数のバンドを結成する計画でメンバーを探していたが、納得できるメンバーに巡り会えない状況が続いていた。そのような中で稲葉と出会って2人組の音楽ユニット「B'z」を結成したが、松本は「ボーカルとギターという極めてアナログ的な楽器の可能性を広げていくため、コンピューターや色々な新しい機材と対比しながら共存していけたら」と述べており、「僕が曲を書いて彼(稲葉)が詞を書いて、歌ってギター弾いて、それで十分音楽は創ることが出来るので、敢えて他のメンバーは入れなかった」としている。 当時の日本国内の音楽シーンはいわゆる「バンドブーム」の真っ只中であり、B'zのデビューは異色でもあった。このことについて、松本は「セッションミュージシャンとして限界に来てて、グループをやるタイミングだと思って動き出しただけで、バンドブームとは関係のないところにいたから」と述べている。一方、ライブについて松本は「コンピューターだけではライブの良さを出せるとは思ってないから、良いサポートミュージシャンを選びたい」と語っている。 活動初期は打ち込みにハードなギターを合わせた音楽スタイルであり、TM NETWORKに近いサウンドであった。当時について松本は「B'zの初期は、確かに(自分がサポートメンバーとして参加していた)TMの流れを汲んでいた」、「TMから始まったものが当時の僕のスタイルの一部にはなっていると思う」、「B'zの初期はテッちゃん(小室哲哉)の影響が大きかった」と述べ、プロデューサーの長戸大幸からして、当初は「TMのメンバーに似た容姿のバンドマン同士を組ませて、新しいグループを作る」というコンセプトありきの企画ユニットだった。 しかし、松本と稲葉は好きなギタリストやシンガー、これからやりたいことが似ていたこともあり、ノリのある8ビートにロックな部分を残し、打ち込みで人間的なノリを出すことにこだわり始めたことで音楽性がガラッと変わっていくことになる。活動初期とは打って変わり、レコーディングやツアーを重ねるごとにロック色が強い作品を発表するようになり、サポートメンバーを含めたバンド感を出すようになっていく。 そして、ハードロックをベースとしながらもアコースティック、ブルース、ジャズ、ソウル、サイケデリック、ファンク、ヘヴィメタル、レゲエ、ラテン、マーチ、歌謡曲など様々な音楽ジャンルを作品に取り入れている。 日本国内のいわゆる「J-POP」の中でハードロックをベースにチャート上位を狙いながら活動しているのはB'zくらいしかいないと言われている。 B'zの曲は作詞を稲葉、作曲を松本が担当している。B'z結成当初から曲については「自分たちでなんとかしよう」ということがあり、自然な流れでギターの松本が作曲でボーカルの稲葉が作詞になった。ところが、2人ともB'zが始まってから本格的な作詞・作曲の創作活動を行ったため、1stアルバム『B'z』では「Nothing to Change」の作詞を亜蘭知子、「孤独にDance in vain」の作曲を大槻啓之が担当しており、松本は「当時はあれが限界だった」と述べている。また、稲葉は日本語で歌詞を書くことや日本語で歌うことに抵抗があったため、はじめは作詞に苦慮する日々が続いた。 基本的には松本が作るメロディやギターのリフなど断片的なものから始まり、後から歌詞を書くいわゆる「曲先」で制作しているが、すでにストックしてある詞やメロディを当てはめて制作していく場合もある。松本は浮かんだアイデアをボイスレコーダーや携帯電話に録音し、近くにギターがなければ歌だけで録音することがある。稲葉も思いついたものをメモに取ったり携帯電話に録音している。また、稲葉はB'zの曲の作詞に関して松本が奏でるメロディや音色から言葉を喚起することが多々あるとも述べている。編曲に関して当初は明石昌夫が単独で行い、1stミニ・アルバム『BAD COMMUNICATION』の頃から松本と明石でベーシックなものを制作してから稲葉が詞を書いていくという手法で行っていたが、6thアルバム『RUN』では制作途中までツアーメンバーでレコーディングしている。7thアルバム『The 7th Blues』レコーディングの頃から稲葉がスタジオ作業に具体的な興味が湧いてきたと述べており、8thアルバム『LOOSE』レコーディングからは稲葉が制作当初から参加するようになり、16thシングル『ねがい』で稲葉が初めて編曲にクレジットされた。また、B'zの2人をはじめサポートメンバー、ディレクターなどがアレンジに意見し、出たアイデアを音にして具現化するようにしているほか、デモテープを複数のアレンジャーに渡して良いアレンジを採用するような場合もある。 レコーディングは松本のギター・ソロや稲葉のボーカル録りを個別に行っており、松本は歌詞に関しても稲葉の歌入れ後に初めて聞くことが多い。松本のギター・ソロのレコーディングは、何通りか弾いた中からフレーズが決まってくると、いくつかのフレーズをミックスして弾く場合が多いと述べている。レコーディング場所はロサンゼルスと東京で行うことが多く、制作などのスタジオ作業はロサンゼルスや東京のほかにニューヨーク、ハワイ、沖縄、福岡、大阪などで行ったことがある。また、かつてはアメリカの制作過程や作業を学ぶためロサンゼルスに渡り、アンディ・ジョーンズをプロデューサーに迎えてレコーディングを行ったことがあり、20thシングル『Real Thing Shakes』として発売するなど、外部のプロデューサーを起用して曲づくりをする場合もある。 「B+U+M」はかつてのB'zの音楽制作集団であり、名称は「B'z Unreal Music」のイニシャルに由来している。ギターの松本孝弘とボーカルの稲葉浩志で構成しているB'zであるが、「自分たちだけでは実現できない音楽を実現する」という目的で「B+U+M」を結成しており、B'zの曲の制作やライブサポートなどの活動を行っていた。1990年発売の3rdアルバム『BREAK THROUGH』収録の「B・U・M」には「Here we are B'z & the Funky Crew」という「B+U+M」を示唆する歌詞があり、同年発売の4thシングル『BE THERE』で初めてクレジットしている。なお、1990年11月16日にはB'zのマネジメントオフィスとして「B.U.M」を設立しており、2001年には「B.U.M」を継承した「VERMILLION」を設立している。その後、「B'zは2人である」というメリットを有効に活用するため、1994年発売の15thシングル『MOTEL』制作を最後に「B+U+M」を解体した。 「B+U+M」の解体については1994年開催の『B'z LIVE-GYM '94 "The 9th Blues"』ツアー中に松本が稲葉に話をするなどし考えていたという。当初はスタッフを含めB'zを取り巻く環境をずっと変えないで行こうと思っていたが、それが良くない方向に現れ一度解体してバラすことが必要であったと1995年のインタビューで松本が述べている。 音楽制作会社のビーイングに所属して浜田麻里やTM NETWORKなどのバックバンドやスタジオ・ミュージシャンなどとして活動していたギタリストの松本孝弘は、「自分自身の音楽を表現できるバンドをつくる」という構想を実現するため、バンド結成に向けた活動を開始していた。音楽雑誌においてあるボーカリストとバンドを組むことを公表した時もあったが、結局デビューには至らなかった。 1988年5月、松本はビーイング社長であり音楽プロデューサーでもあった長戸大幸から1本のデモテープを渡された。そのデモテープには「Being音楽振興会」(後のBeing Music School)に所属していた稲葉浩志が、T-ボーン・ウォーカーの「T-BORN SHUFFLE」、レッド・ツェッペリンの「YOU SHOOK ME」、ビリー・ジョエルの「Honesty」を歌ったものが録音されていた。この頃の長戸は、「稲葉を何とかしたい、早くデビューさせたい。」との思いを抱いていた。歌声を聞いた松本は稲葉をボーカルに採用することを決め、長戸を介して2人は初めて会うことになった。松本は当時について、「デモも聞いたし、写真も見たし、(稲葉と会う前から)自分は心が決まっていた」、「後は『いい人』であってくれと願っていた」と振り返っている。 翌々日に当時六本木にあった録音スタジオ「SOUND JOKER」にてビートルズの「Let It Be」、「Oh! Darling」をセッションした。ところがアンプの故障によりセッションは2曲で終了したため、松本曰く「ものの10分くらいですぐ決まった」と述べている。そして、ユニット名を「B'z」として1988年9月21日にシングル『だからその手を離して』とアルバム『B'z』の同時発売でデビューした。アルバムのキャッチコピーは「最先端から加速する」。初めての出会いからデビューに至るまでが約4か月と短期間であり、信頼関係や友情がないままデビューに向けての活動が始まっていたため、稲葉によると「これまで松本さんから『一緒にバンドやろう』と言われたことはない」と述べている。 松本によると、当時のレコード会社は「アルバム発売3枚までにブレイクさせよう」という方針であり、B'zを始めた時から「売れなければ意味がない」という意識が高く、「どうしたら売れるか?」ということを考えていたという。稲葉には「(当時一番売れていた音楽雑誌)『ギターブック/GB』の表紙を目指す」、「(週刊ランキング誌)『オリコン』の(1位から50位までが掲載されている)左ページに載る」といったB'zの「3ヵ年計画」を語ったという。なお、初期のプロデューサーは中島正雄であり、松本のトータル・プロデュースとなった後は「スーパーバイザー」としてクレジットしていた。 デビュー1年目は音源を制作してリリースすることで話題を繋いでいこうという戦略であり、当時の松本には「アルバムを少なくとも2枚出すまで絶対ツアーをやらない」、「ライブハウスからではなく、はじめからホール展開でやっていく」というビジョンがあった。その代わりにヤマハのモニターを務めていた松本が「ギター・セミナー」を開催し、セミナー後には同行していた稲葉とともにB'zを披露するキャンペーンで全国各地を回った。この頃、松本はまだTM NETWORKのツアーに参加するスケジュールが残っており、コンサートの前後にセミナーを開催する時もあった。 B'zが初めて観客の前でライブを披露したのは、1989年にTM NETWORKやFENCE OF DEFENSEとの音楽イベントにオープニングアクトとして出演した時であり、松本は初めて稲葉がライブで歌っているのを横でギターを弾きながら見た時に、「『これは絶対にいけるな』と思った」と述べている。2ndアルバム『OFF THE LOCK』発売後、初の単独ライブ『B'z LIVE-GYM #00 "OFF THE LOCK"』を東名阪の3ヵ所で開催した。3rdアルバム発売前に実験的な試みで発表した1stミニ・アルバム『BAD COMMUNICATION』がロングセラーを続ける中、1990年発売の3rdアルバム『BREAK THROUGH』がオリコンチャート初登場3位となりトップ10入りを果たした。 これまではアルバムとシングルを同時発売していたが、4thシングル『BE THERE』を単独発売しシングルでもオリコンチャートトップ10入りを果たした。なお、このシングルから収録曲の表記を「1st beat」、「2nd beat」としているほか、音楽制作集団「B+U+M」をクレジットしている。続く5thシングル『太陽のKomachi Angel』で初のオリコンチャート1位を獲得すると、4thアルバム『RISKY』は初のアルバムチャート1位とミリオンセラーを達成した。この年はシングル5枚、オリジナル・アルバム2枚、ミニ・アルバム1枚、ビデオ1作品を発表しており、毎月のように各音楽雑誌が紙面に取り上げ、表紙を飾ることもできた。1991年発売の8thシングル『LADY NAVIGATION』ではシングル初のミリオンセラーを達成した(なお、「LADY NAVIGATION」から1996年発売の20thシングル『Real Thing Shakes』まで13作品連続ミリオンセラーになっている)。また、1991年はそれまでに発表した曲の中から人気曲などを演奏する『B'z LIVE-GYM "Pleasure '91"』を開催した年であり、以後シリーズ化していく。5thアルバム『IN THE LIFE』発売後、翌年にかけて『B'z LIVE-GYM '91-'92 "IN THE LIFE"』を開催した。 1992年の『B'z LIVE-GYM Pleasure '92 "TIME"』ではアリーナクラスの会場に「STAR FISH」と名づけられた可動式の照明トラスを持ち込み、360度全方向に客席を設けた。この年は10thシングル『BLOWIN'』と11thシングル『ZERO』、6thアルバム『RUN』と4thミニ・アルバム『FRIENDS』を発売している。1993年は『B'z LIVE-GYM '93 "RUN"』を開催し、ツアー中に12thシングル『愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない』と13thシングル『裸足の女神』を発売した。夏にはB'z初の野外ライブ『B'z LIVE-GYM Pleasure '93 "JAP THE RIPPER"』を渚園(静岡県弁天島海浜公園)で2日間開催した。 1994年、14thシングル『Don't Leave Me』発売日から『B'z LIVE-GYM '94 "The 9th Blues"』を開催し、合計で1年を通して87本のライブを行った。また、初のCD2枚組になった7thアルバム『The 7th Blues』発売日には、全国31紙の新聞に音楽業界初となる全30段フルカラー2ページの広告展開を実施した。15thシングル『MOTEL』発売を最後に制作チーム「B+U+M」を解体した。 1995年、16thシングル『ねがい』を発売し、17thシングル『love me, I love you』発売日から『B'z LIVE-GYM Pleasure '95 "BUZZ!!"』がスタートし、スタジアムクラスの会場を中心に開催した。ツアーで未発表曲として披露した「LOVE PHANTOM」を18thシングルとして発売した。「B'zは2人である」という原点に立ち返って制作した8thアルバム『LOOSE』は売上枚数が300万枚に達した。1996年は19thシングル『ミエナイチカラ ?INVISIBLE ONE?/MOVE』発売後、『B'z LIVE-GYM '96 "Spirit LOOSE"』を開催。ツアーで披露していた全編英語詞の「Real Thing Shakes」を20thシングルとして発売した。 1997年、21stシングル『FIREBALL』発売後に『B'z LIVE-GYM Pleasure '97 "FIREBALL"』を開催し、ナゴヤドームのこけら落し公演を含むドームツアーとなった。日本のミュージシャンでは初となる東京・名古屋・大阪・福岡の4大ドーム公演の実施であった。ツアーで未発表曲として披露した「Calling」は大幅なアレンジを経て22ndシングルとして発売した。9thアルバム『SURVIVE』発売後、1998年から『B'z LIVE-GYM '98 "SURVIVE"』を開催した。デビュー10周年となったこの年に発売した初の公式ベスト・アルバム『B'z The Best "Pleasure"』は、当時の初週売上枚数を更新する270万枚を記録すると、さらに売上枚数を増やして日本国内の音楽史上初となる売上枚数500万枚を突破した。また、『Pleasure』に封入していたはがきによるリクエストで収録曲を決定したベスト・アルバム『B'z The Best "Treasure"』も400万枚を超える売上枚数となって2作品合計の売上枚数が約1000万枚を記録した。 1999年、前年に発売したベスト・アルバムのセールスなどにより『日本ゴールドディスク大賞』の「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」をはじめとする各賞、『ワールド・ミュージック・アワード』の「World Selling Japanese Artist of The Year」を受賞した。ソロ活動を経て26thシングル『ギリギリchop』を発売、10thアルバム『Brotherhood』収録の「ギリギリchop(Version 51)」にはMR. BIGからビリー・シーンとパット・トーピーが参加している。また、以前から面識のあったスティーヴ・ヴァイのレコーディングに参加し、『The Ultra Zone』収録の「ASIAN SKY」を制作している。『B'z LIVE-GYM '99 "Brotherhood"』の横浜公演はコンサート初開催となる横浜国際総合競技場を使用した。 2000年、27thシングル『今夜月の見える丘に』、マスト・アルバムとして『B'z The "Mixture"』を発売。ニッポン放送のラジオ番組『B'zの@llnightnippon.com』に出演した際は、インターネット中継の同時アクセス数が14,600ストリームに達し、当時の日本記録を更新した。29thシングル『juice』のミュージック・ビデオは札幌での「ゲリラライブ」形式で撮影した。『B'z LIVE-GYM Pleasure 2000 "juice"』では、8月9日の千葉マリンスタジアムでのライブが激しい雨と落雷によって急遽内容を短縮して終了する事態となった。同年には11thアルバム『ELEVEN』発売した。 2001年は31stシングル『ultra soul』発売後に『B'z LIVE-GYM 2001 "ELEVEN"』を開催し、コンサート初開催となる札幌ドームでは32ndシングル『GOLD』のミュージック・ビデオを撮影した。また、この年はB'z初の海外公演を台北と香港で開催した。 2002年、『2002 FIFAワールドカップ』開催に伴い発売されたコンピレーション・アルバム『2002 FIFA World Cup Official Album』Songs of KOREA/JAPAN盤に「DEVIL」で参加し、東京スタジアムで開催した国際サッカー連盟初のオフィシャル・コンサート『2002 FIFA World Cup KOREA/JAPAN Official Concert International Day』に出演した。Wアンコールではエアロスミスとともに「Train Kept A Rollin'」を披露した。また、12thアルバム『GREEN』を発売後に『B'z LIVE-GYM 2002 "GREEN ?GO★FIGHT★WIN?"』を開催したほか、初のアメリカ公演『B'z LIVE-GYM 2002 "Rock n' California Roll"』をサンディエゴとロサンゼルスで開催した。なお、この年のサポートメンバーはベースにビリー・シーンが参加した。冬には初のバラード・ベスト・アルバム『The Ballads ?Love & B'z?』を発売した。 2003年、34thシングル『IT'S SHOWTIME!!』発売と同時に4thシングル『BE THERE』から13thシングル『裸足の女神』までのシングル10作品をマキシシングル化して再発売し、オリコン週間シングルチャートトップ10に9作品がランクインした。6月9日、特別番組の収録で六本木ヒルズアリーナにてゲリラライブを行った。『B'z LIVE-GYM The Final Pleasure "IT'S SHOWTIME!!"』最終公演は10年ぶりとなる渚園(静岡県弁天島海浜公園)で開催し、デビュー15周年を迎えた。10月10日に放送された特別ドラマ『生放送はとまらない!』内の演奏シーンで出演。前年に続き海外公演『B'z LIVE-GYM 2003 "BANZAI IN NORTH AMERICA"』をアメリカとカナダの西海岸5都市で開催し、日本国内では5大ドームを含むツアー『B'z LIVE-GYM 2003 "BIG MACHINE"』を開催した。 2004年はソロ活動がメインとなったが、36thシングル『BANZAI』、37thシングル『ARIGATO』を発売している。 2005年、38thシングル『愛のバクダン』と14thアルバム『THE CIRCLE』発売後に『B'z LIVE-GYM 2005 "CIRCLE OF ROCK"』を開催し、アリーナ公演からはB'z初となる円形ステージを採用した。39thシングル『OCEAN』のミュージック・ビデオは史上初となる海上保安庁の巡視船(みずほ)を使用しての撮影となった。アップルコンピュータ(現在のApple)による日本国内でのiTunes Music Store(現在のiTunes Store)サービス開始に伴って楽曲の配信を開始し(一部の曲を除く)、配信限定のボックス・セット『The Complete B'z』をリリースした(現在は配信停止)。また、同年に発売したベスト・アルバム『B'z The Best "Pleasure II"』では、iTunesから初公開のライブ映像1曲がダウンロードできる購入特典があった。 2006年は15thアルバム『MONSTER』発売後に5大ドームを含むツアー『B'z LIVE-GYM 2006 "MONSTER'S GARAGE"』を開催した。また、ライブ映像配信事業の「Network LIVE」(当時)に初の日本人アーティストとして参加し、映像収録のためのライブを行った。 2007年はB'zとしては初のロック・フェスティバル出演となる『SUMMER SONIC 07』に出演した。また、デビュー20年目を迎えるに当たり、アジア圏のミュージシャンとしては初めて「ハリウッド・ロックウォーク」に殿堂入りし、ハリウッドのギター・センターで記念セレモニーが行われた。16thアルバム『ACTION』を発売し、2008年に『B'z LIVE-GYM 2008 "ACTION"』を開催した。また、ベスト・アルバム『B'z The Best "ULTRA Pleasure"』とインターネットからのリクエストによって収録曲を決定したベスト・アルバム『B'z The Best "ULTRA Treasure"』を発売し、5年ぶりとなるPleasureシリーズ『B'z LIVE-GYM Pleasure 2008 -GLORY DAYS-』を開催した。 2009年、46thシングル『イチブトゼンブ/DIVE』を発売。ドラムスにはレッド・ホット・チリ・ペッパーズのチャド・スミスが参加した。『B'z SHOWCASE 2009 -B'z In Your Town-』開催後には『SUMMER SONIC 09』に出演した。47thシングル『MY LONELY TOWN』のミュージック・ビデオやジャケット写真は端島(通称「軍艦島」)で撮影した。17thアルバム『MAGIC』発売し、翌年に『B'z LIVE-GYM 2010 "Ain't No Magic"』を開催した。ツアー後の表立った活動はソロがメインとなった。 2011年、ペプシコーラ「ペプシネックス」TVCMキャラクターに起用され、B'z初のCM出演となった。CMには「エフェクト」篇・「荒野」篇で「さよなら傷だらけの日々よ」を使用し、夏には「People」篇で18thアルバム『C'mon』からタイトル曲「C'mon」、冬には「Xmas Lover」篇で「いつかのメリークリスマス」を使用した。3月11日の「東日本大震災」発生に伴い、被災者支援のためにリンキン・パークが設立した「Music For Relief」によるダウンロード販売のコンピレーション・アルバム『Download to Donate: Tsunami Relief』に参加し、「Home」を提供した。また、8年ぶりとなる海外公演『B'z LIVE-GYM 2011 -long time no see-』をカナダとアメリカの3都市で開催した後、ロサンゼルスで行った「Music For Relief」による被災者支援のためのシークレット・ライブ『Music for Relief - Secret Show for Japan』に出演した。『B'z LIVE-GYM 2011 -C'mon-』では最初の開催地となった宮城公演の収益全額を復興支援に寄付し、全公演でチャリティーグッズを販売した。 2012年も引き続き「ペプシネックス」のCMに出演し、CMには「Tshirts Live」篇で「GO FOR IT, BABY -キオクの山脈-」を使用したほか、夏には「Summer Line」篇で配信限定アルバム『B'z』から38thシングル「愛のバクダン」を英語詞で新たにレコーディングした「Love Bomb」を使用した。また、カプコンのゲームソフト『Dragon's Dogma』主題歌となった24thシングル「さまよえる蒼い弾丸」を英語詞で新たにレコーディングした「Into Free -Dangan-」を配信限定シングルとしてリリースしたほか、キム・ヒョンジュンにはB'zとしては初の楽曲提供となる「HEAT」を書き下ろした。『B'z LIVE-GYM 2012 -Into Free-』はアメリカとカナダの7都市で開催し、追加公演として日本国内4都市で『B'z LIVE-GYM 2012 -Into Free- EXTRA』を開催した。 2013年のデビュー25周年には、それまでに発表した50枚のシングル曲を収録したベスト・アルバム『B'z The Best XXV 1988-1998』と『B'z The Best XXV 1999-2012』を同時発売し、『B'z LIVE-GYM Pleasure 2013 -ENDLESS SUMMER-』を開催した。また、QVCマリンフィールドで開催した『AEROSONIC』では11年ぶりにエアロスミスと共演し、ともに「Mama Kin」を披露した。 2014年はソロ活動となり、B'zとしては年末から2015年の年始にかけて複数の音楽番組に出演し、51stシングル『有頂天』を披露した。19thアルバム『EPIC DAY』発売後に『B'z LIVE-GYM 2015 -EPIC NIGHT-』を開催し、全国のZepp会場で追加公演を行ったほか、大阪心斎橋のミュージックバー「ROCKROCK」のオープン20周年記念ライブイベントに出演し、LOUDNESSと共演した。また、当時ニューヨーク・ヤンキースから古巣の広島東洋カープに復帰した黒田博樹のために、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(マツダスタジアム)での登場曲「RED」を書き下ろした。 2016年はソロ活動がメインではあったが、配信限定シングル『世界はあなたの色になる』、『フキアレナサイ』をリリースした。2017年、稲葉はスティーヴィー・サラス、松本はダニエル・ホーとコラボレーションしたアルバムをそれぞれ発売してツアーを開催した。その後、B'zとして53rdシングル『声明/Still Alive』を発売し、8年ぶりのIn Your Townシリーズとなる『B'z SHOWCASE 2017 -B'z In Your Town-』を開催。また、ロック・フェスティバル『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』と『ライジング・サン・ロックフェスティバル』に初出演した。フィジカル・リリースとしてはB'z初のボックス・セット『B'z COMPLETE SINGLE BOX』発売を発表し、セブン-イレブンとコラボレーションした完全予約受注生産【Trailer Edition】の販売や「B'z×セブン-イレブンフェア」を展開した。デビュー30周年の一環となるイベント『B'z Loud-Gym』を47都道府県のライブハウスで翌年9月まで月1回開催。20thアルバム『DINOSAUR』発売後、翌年にかけて『B'z LIVE-GYM 2017-2018 "LIVE DINOSAUR"』を開催した。 2018年には、デビュー30周年を記念した初の大型エキシビション(展覧会)『B'z 30th Year Exhibition "SCENES" 1988-2018』を前期(1988-2002)と後期(2003-2018)に分けて開催し、会場内で上映した映像を全国の映画館で順次公開したほか、約5年ぶりのPleasureツアー『B'z LIVE-GYM Pleasure 2018 -HINOTORI-』を開催した。 前年のツアー終了直後に翌年のアルバム発売とツアー開催を予告しており、21stアルバム『NEW LOVE』発売前の元号が平成から令和に変わった5月1日から渋谷スクランブル交差点前にある東急百貨店の壁面に「平成 Thanks!」「令和 Welcome!」の巨大看板を3日間限定で公開した。アルバム発売後に『B'z LIVE-GYM 2019 -Whole Lotta NEW LOVE-』を開催し、7月6日の大阪公演でLIVE-GYMの通算公演数が1000回となった。また、ツアー最終日の福岡公演を日本国内と台湾の映画館で生中継するライブビューイングを行った。ツアーの合間には10年ぶりとなる『SUMMER SONIC 2019』に出演し、日本人アーティストではサマーソニック初となるヘッドライナーを務めた。 2020年、新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言の発出に伴い、『B'z LIVE-GYM -At Your Home-』と題して、これまでに発売した映像作品23本を4月13日からYouTubeの公式チャンネルで5月31日までの期間限定で公開した。4月27日には松本・稲葉によるリモートで「HOME」をセッションする動画を公開し、4月30日には『B'z LIVE-GYM 2019 -Whole Lotta NEW LOVE-』でのサポートメンバーを加えた「HOME」のバンドセッション動画を公開した。10月から11月にかけては、B'z初となる無観客配信ライブ『B'z SHOWCASE 2020 -5 ERAS 8820- Day1〜5』を5週連続で開催した。これは、1988年のデビューから2020年までを5つの時代に分け、各公演が異なるセットリスト、ステージセットや演出も各公演で変更するといった内容であり、各メディアにおいて有料配信した。 2021年5月21日、B'z初となるサブスクリプションストリーミングサービスを開始し、松本および稲葉のソロ曲を含む880曲を配信開始した。また、松本隆の作詞活動50周年を記念したトリビュート・アルバム『風街に連れてって!』に参加し、桑名正博の「セクシャルバイオレットNo.1」をカバーした。9月にはB'zが初の主催となるRock Project『B'z presents UNITE #01』を開催し、Mr.Children、GLAYとライブ初共演した。この模様は各メディアにおいて有料配信を行ったほか、ライブのタイトル曲となった「UNITE」も配信限定でリリースした。その後、「FRIENDS」シリーズをコンセプトとしたライブ『B'z presents LIVE FRIENDS』を開催し、約25年ぶりとなる「FRIENDS」シリーズのコンセプト・アルバム『FRIENDS III』を発売した。年末から年明けにかけては『LIVE FRIENDS』を各メディアにおいて有料配信した。 2022年5月14日、約3年ぶりのツアーとなる『B'z LIVE-GYM 2022 -Highway X-』を開催。6月24日にはアルバムの先行配信限定シングル「SLEEPLESS」を配信し、8月10日には22ndアルバム『Highway X』が発売された。8月28日、国立競技場で行われた矢沢永吉のデビュー50周年ライブ『EIKICHI YAZAWA 50th ANNIVERSARY TOUR「MY WAY」』にサプライズゲストとして出演した。11月5日、デビュー35周年企画としてSUGOI花火とのコラボレーション『B'z ULTRA FIREWORKS 2022-2023』の第1弾を幕張で開催した。 2023年3月10日から3月12日にかけて、デビュー35周年記念イベント『B'z presents -Treasure Land 2023-』を開催、イベントでは『B'z LIVE-GYM Pleasure '93 "JAP THE RIPPER"』と『B'z LIVE-GYM Pleasure '97 "FIREBALL"』のフルバージョンを初公開した。6月17日、約5年ぶりのPleasureツアー『B'z LIVE-GYM Pleasure 2023 -STARS-』を開催。7月12日、シングルCDとしては約6年ぶりとなる『STARS』を発売した。8月4日、『B'z ULTRA FIREWORKS 2022-2023』の第2弾を北九州で開催した。 TM NETWORKデビュー40周年を記念して制作されたコンピレーション・アルバム『TM NETWORK TRIBUTE ALBUM -40th CELEBRATION-』に参加し、「Get Wild」をカバーした。 音楽評論家の大貫憲章は、熱心なリスナーではないため印象論でしかないという前置きをした上で、「ハードロックサウンドとシャウト、稲葉の外見の良さなどによって、B'zが日本の一般人が想定するロックのイメージをわかりやすく体現しているためではないか」と分析している。音楽プロデューサーの亀田誠治によると、ヒット曲に必要な条件とする「アーティストパワー」と「楽曲のパワー」の両方を兼ね備えて安定的に売れ続けている「勝ち組安定型」の例としてB'zを挙げており、CDショップも積極的に売り出すことでさらに売上枚数が増えると述べている。作詞家の森雪之丞は洋楽のビートに日本語をどう近づけていくかという「日本語ロック」の試行錯誤において、「稲葉君が歌えば何でもロックになるんですよ。彼の歌詞は、とても四畳半的な男の意気地ない言葉が入っていても、B'zのサウンドの中で彼が歌ったら、ロックである」としており、「詞の世界として、か弱く、セコい心情を吐露していても、松本君のギターがあって、B'zの世界の中で聴くと、それがセコくないんですよ。それがロックだろうって思うんです」と述べている。ギタリストのマーティ・フリードマンは、「B'zはあれだけ人気なのにフォロワーがいないでしょ。テクニックがめちゃくちゃあるし、2人とも自分だけの独特なスタイルを確立しているから、マネしたくてもできないんだと思うよ」と述べている。音楽評論家の伊藤政則は、「B'zは邦楽と洋楽の壁を少しずつ壊して今日に至っているからね」、「B'zの音楽を聴いていると、どうしてもそういう音楽も聴きたくなる。だから(邦楽と洋楽の)境界線みたいなものは壊している。今思えばこれはすごいことです」、「(松本さんや稲葉さんが影響を受けた海外アーティストやアルバムに関するエピソードが)B'zファンの音楽的な裾野を広げているという言い方もできるんじゃないかな」と述べている。 B'zの2人は、売上枚数やライブの動員数などが話題になることについて松本は「セールスがプレッシャーになることは全然ない」「たとえば、"数字"っていうのは一番世間にわかりやすい。何万枚売れたとか、いくら稼いだとか。それはそれでいいんですけど、自分の中での質の向上みたいなものには終わりがない」、稲葉は「数字を気にする人たちがいるのは、それはそれで悪いことじゃないと思う。おもしろい話題の1つとしてとらえてくれればね……」と述べている。また、稲葉は「記録とか目標よりも、今は、もうちょっと違う…例えば、やったことない場所でライブをやってみたいとか、そういうことが楽しい」、松本は「新しいアルバムを創って新しいものが生まれてくる経験とか、知らない場所でライブをやったりしたいなって思えることの方が、今は楽しみ」と述べている。 B'zを論評する時に、避けて通れないのが「パクリ」であるといわれている。『マルコポーロ』94年10月号では、8曲を例に挙げて「パクリのオンパレード」と評しており、『音楽誌が書かないJポップ批評14』では、メロディ、リフ、アレンジなどのテーマごとに、計38曲の元ネタを明かしているとしている。2枚のベストアルバムの記録的大ヒットを受けて、朝日新聞で特集された際にも、「洋楽のパクリというのはよく言われていること」と紹介されていた。 音楽ライターの夏至明および別冊宝島編集部が「B'zはファン以外からはどうみられているか」を調査した結果によると、ロックや音楽に通じている層からは「パクリ・ネタが露骨すぎ」、「ビーイングという出自から来る商業主義の匂いへの嫌悪」と見られているとしている。 また、大滝詠一や奥田民生など他のアーティストなら「リスペクト」や「オマージュ」として好意的に解釈されるのに、なぜB'zだけが叩かれるのか、という点について、様々な分析がされており、元ネタへの愛情と知識の蓄積量、元ネタを商品の「タネ」としかみなしていない創作姿勢の差であるという意見、元ネタであるハードロックに対する評価がそのままパクリの質として評価されているという意見、「パクリ」という行為から読み取れる思想がないという意見、B'zのメーンリスナー層と元ネタであるハードロックが共有されないことで、「共犯関係」を築けないためであるという意見などがある。 この問題についての作曲者である松本の発言として、夏至明は以下のインタビューを引用している。 松本 「よくいるでしょ。この曲のここはツェッペリンだな、とかいう人。それをまるですごいことでも発見したようにいう人、いるじゃない(笑)。僕らはそういう次元ではやってないんだよね。あくまでも楽しんでやっていることだから」 - 「遊び心があるわけですよね」 松本 「たとえば、B'zの曲の中に「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のフレーズを入れちゃおうか、とかね」 - 「でも、必ず“あれパクリだぜ”とかいうヤツがいるでしょ(笑)」 松本 「いるよ(笑)。ピントがずれてるよね。ロック好きなヤツがバンドやって、そうならない方が不思議だよ。遊ぶ側のセンスだし、聞く人のセンスの問題だと思うけど」 夏至明はこの問題について、B'zだけの問題ではなく西洋のロックを範とするJ-POPに構造的に内包されているものであるとし、1999年の『音楽誌が書かないJポップ批評3』にて、B'zを「全肯定」する論陣を張った。ただし2007年には、この「全肯定」が「永遠の翼」にみられるような保守回帰傾向に荷担してしまったかもしれない、という反省と後悔をしている。 日本有線大賞 『第23回日本有線大賞』最多リクエスト歌手賞 『第24回日本有線大賞』最多リクエスト歌手賞 日本レコード大賞 『第32回日本レコード大賞』【ポップス・ロック部門】優秀アルバム賞『WICKED BEAT』 『第33回日本レコード大賞』【ポップス・ロック部門】優秀アルバム賞『RISKY』 『第34回日本レコード大賞』【ポップス・ロック部門】優秀アルバム賞『IN THE LIFE』 日本ゴールドディスク大賞 『第5回日本ゴールドディスク大賞』ベスト5アーティスト賞 『第6回日本ゴールドディスク大賞』ベスト5アーティスト賞、ベスト5シングル賞『LADY NAVIGATION』、ミュージック・ビデオ賞『JUST ANOTHER LIFE』 『第7回日本ゴールドディスク大賞』ベスト5アーティスト賞、ベスト5シングル賞『BLOWIN'』 『第8回日本ゴールドディスク大賞』ベスト5シングル賞『愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない』、ミュージック・ビデオ賞『LIVE RIPPER』 『第9回日本ゴールドディスク大賞』ベスト5アーティスト賞、ベスト5シングル賞『Don't Leave Me』 『第10回日本ゴールドディスク大賞』ベスト5アーティスト賞、ベスト5シングル賞『LOVE PHANTOM』、グランプリ・アルバム賞『LOOSE』、アルバム賞 ロック・フォーク部門(男性)『LOOSE』、ミュージック・ビデオ賞『"BUZZ!!" THE MOVIE』 『第12回日本ゴールドディスク大賞』ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー『SURVIVE』 『第13回日本ゴールドディスク大賞』アーティスト・オブ・ザ・イヤー、ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー『B'z The Best "Pleasure"』『B'z The Best "Treasure"』、ソング・オブ・ザ・イヤー「HOME」 『第14回日本ゴールドディスク大賞』ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー『Brotherhood』 『第15回日本ゴールドディスク大賞』ソング・オブ・ザ・イヤー「今夜月の見える丘に」、ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー『B'z The "Mixture"』『ELEVEN』 『第17回日本ゴールドディスク大賞』ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー『GREEN』『The Ballads ?Love & B'z?』、ミュージック・ビデオ・オブ・ザ・イヤー(長編)『a BEAUTIFUL REEL.』 『第18回日本ゴールドディスク大賞』ソング・オブ・ザ・イヤー「IT'S SHOWTIME!!」「野性のENERGY」、ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー『BIG MACHINE』 『第19回日本ゴールドディスク大賞』ミュージック・ビデオ・オブ・ザ・イヤー『Typhoon No.15 ?B'z LIVE-GYM The Final Pleasure "IT'S SHOWTIME!!" in 渚園?』 『第20回日本ゴールドディスク大賞』ソング・オブ・ザ・イヤー「OCEAN」、ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー『THE CIRCLE』『B'z The Best "Pleasure II"』 『第23回日本ゴールドディスク大賞』ザ・ベスト10アルバム『B'z The Best "ULTRA Pleasure"』 『第24回日本ゴールドディスク大賞』ザ・ベスト5ソング「イチブトゼンブ」 『第28回日本ゴールドディスク大賞』ベスト5アルバム『B'z The Best XXV 1988-1998』 ワールド・ミュージック・アワード 『1999 The World Music Awards』World Selling Japanese Artist of The Year ザテレビジョンドラマアカデミー賞 『第24回ザテレビジョンドラマアカデミー賞』ドラマソング賞「今夜月の見える丘に」(TBS系東芝日曜劇場『Beautiful Life?ふたりでいた日々?』主題歌) 『第62回ザテレビジョンドラマアカデミー賞』ドラマソング賞「イチブトゼンブ」(フジテレビ系月9『ブザー・ビート?崖っぷちのヒーロー?』主題歌) オリコン 『WE LOVE MUSIC AWARDS』 ビルボード・ジャパン・ミュージック・アワード 『Billboard JAPAN Music Awards 2009』Hot 100 of the Year 2009「イチブトゼンブ」 アーティスト・トータル・セールス(CD総売上枚数):8,262.4万枚(歴代1位) 平成30年ランキング アーティスト別セールス(CD総売上枚数):8,262.4万枚(総合1位) シングル シングル総売上枚数:約3,596.9万枚(歴代2位) シングル1位獲得作品数:50作(歴代2位) シングル連続1位獲得作品数:50作(歴代1位・継続中) シングル連続初登場1位獲得作品数:50作(歴代1位・継続中) シングル1位獲得週数:67週(歴代1位) シングル連続1位獲得年数:20年(歴代2位) シングルTOP10獲得作品数:50作(歴代5位) シングル連続TOP10獲得作品数:50作(歴代3位タイ・継続中) シングル連続TOP10獲得年数:20年(歴代3位タイ) シングルミリオン獲得作品数:15作(歴代2位) シングル連続ミリオン獲得作品数:13作(歴代2位) シングル連続ミリオン獲得年数:7年(歴代1位) 同一アーティストによる週間シングルチャートTOP10ランクイン作品数:9作(歴代1位) アルバム アルバム総売上枚数:約4,687.2万枚(歴代1位) アルバム1位獲得作品数:31作(歴代1位) アルバム連続首位獲得年数:8年(1996年から2003年まで。男性アーティスト部門歴代3位) アルバムミリオン獲得作品数:19作(歴代1位) アルバム連続ミリオン獲得作品数:8作(歴代2位、歴代1位はZARDの9作) アルバム初週ミリオン獲得作品数:10作(歴代1位) 映像作品 音楽映像作品による年間音楽ビデオチャート1位獲得作品数:8作(VHS:5作、DVD:1作、Blu-ray Disc:2作、歴代1位) 音楽映像作品による年間総合ビデオチャート1位獲得作品数:5作(歴代1位) 音楽VHS作品売上本数:30.1万本(歴代3位) 音楽DVD作品でのDVD総合ランキング1位獲得作品数:11作 音楽DVD作品でのDVD総合ランキング1位連続獲得作品数:8作(歴代1位) 音楽Blu-ray Disc作品年間ランキング1位獲得作品数:2作(歴代1位) 音楽Blu-ray Disc作品でのBlu-ray Disc総合ランキング1位獲得作品数:6作 「ハリウッド・ロックウォーク」殿堂入り ギネス世界記録「日本でもっともアルバムを売り上げたアーティスト」 シングル オリジナル・アルバム 『B'z LIVE-GYM Pleasure 2023 -STARS-』時点でのサポートメンバー。 元サポートメンバー Z'b(ズービ)とは、『B'z LIVE-GYM '91-'92 "IN THE LIFE"』開始前に肩慣らしと遊び心からつけたバンド名であり、洋楽のカバーを中心に日本国内4ヵ所のライブハウスで『Z'b LIVE HOUSE TOUR』を開催した。その後はライブの1コーナーにZ'bのメンバーが登場することもあったが、ファンからの「Z'bはもうやらないのか」という質問に対して松本は「多分やらないと思います」と回答している。 ラジオ 東海ラジオ『B'z WAVE-GYM』(1990年1月4日 - 1991年3月) ニッポン放送『B'zのオールナイトニッポン』『B'zの@llnightnippon.com』(1992年10月14日、1995年6月14日、2000年2月22日、2000年12月8日、2003年9月22日、2005年3月19日) 特別番組 The MUSIC 272『B'z LIVE-GYM 2002 "Rock n' California Roll" LIVE&DOCUMENT』(2002年12月21日) テレビ朝日系『B'z 15周年特別番組「IT'S SHOWTIME!! ?とどけ!世界水泳バルセロナ2003?」』(2003年6月27日) BSデジタル5局 開局3周年共同特別番組『B'z LIVE-GYM 2003 "BANZAI IN NORTH AMERICA" LIVE&DOCUMENT』(2003年12月23日) NHK総合『NHKスペシャル「メガヒットの秘密 ?20年目のB'z?」』(2008年10月6日、2018年9月17日) NHK BS2『RUN ?B'z・20年の軌跡?』(2009年1月1日) WOWOW『B'z 25th Anniversary Special「Only Two」』(2012年12月9日) ニコニコ生放送『B'z 25th Anniversary DIGEST 1988-2013』(2013年6月8日) B'z Official YouTube Channel『B'z 25th Anniversary YouTube Special Program』(2013年6月16日、2013年6月19日 -) WOWOW『WOWOW×B'z スペシャル番組』(2018年4月11日、5月26日、6月30日、7月21日、8月18日) WOWOW『B'z LIVE-GYM Pleasure 2018 -HINOTORI-』(2018年11月24日、2019年1月12日、2019年4月12日、2019年5月2日) B'z Official YouTube Channel『B'z "FRIENDS III" YouTube Live』(2021年12月3日 - 12月23日) NHK総合『クローズアップ現代「独占告白 B'z 時代を鼓舞する音楽のチカラ」』(2023年7月19日) CM ペプシコーラ「ペプシネックス」 エフェクト篇・荒野篇(2011年3月1日 - ) People篇(2011年7月16日 - ) Xmas Lover篇(2011年12月3日 - ) Tshirts Live篇(2012年2月28日 - ) Summer Line篇(2012年7月14日 - ) 藤井徹貫『TMN最後の嘘(トリック)』ソニー・マガジンズ、1994年。ISBN 4789708896。 『Treasure : B'z Chronicle 1988?1998 10th anniversary special issue』ROOMS RECORDS、1998年9月20日。「『B'z The Best "Treasure"』初回特典」 小野里歩『新版B'zの素顔』スペース、2000年。ISBN 4-8727-0124-0。 B'z Unreal Music『B'z TWELVE』祥伝社、2000年。ISBN 4-396-61118-8。 『音楽誌が書かないJポップ批評14 「B'zの不思議」、再考!』宝島社〈別冊宝島〉、2001年。ISBN 4-7966-2335-3。 佐伯明『B'z ウルトラクロニクル』ソニー・マガジンズ、2003年。ISBN 4-7897-2101-9。 『別冊カドカワ 総力特集 B'z』角川書店〈別冊カドカワ〉、2003年。ISBN 4-04-721503-1。 “B'z Dictionary”. Music Freak magazine. エムアールエム (2003年). 2018年6月9日閲覧。 “more B'z lifeキャンペーン” グループZERO『B'z HISTORY 2006』シーエイチシー、2006年。ISBN 4-86097-165-5。 佐伯明『B'z ミラクルクロニクル』ソニー・マガジンズ、2008年。ISBN 978-4-7897-3328-1。 ミュージシャン一覧 (グループ) 日本一の一覧 最も売れたアーティスト一覧 B'z Official Website B'z (bz.official) - Facebook B'z (@Bz_Official) - X(旧Twitter) B'z (@bz_official_insta) - Instagram B'z Official LINE (@444ijesw) - LINE公式アカウント B'z Official YouTube Channel - YouTubeチャンネル

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2024年07月27日(土) 00:37UTC 現在での最新版を取得
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