桑田佳祐 チケット情報
![桑田佳祐](../pic/noimage.jpg)
桑田 佳祐(くわた けいすけ、1956年〈昭和31年〉2月26日 - )は、日本の男性ミュージシャン、シンガーソングライター。ロックバンド・サザンオールスターズのバンドマスターを務め、ボーカル・ギターを担当。神奈川県茅ヶ崎市出身。所属事務所はアミューズ。所属レコード会社はJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント、所属レーベルはタイシタレーベル。
鎌倉学園高等学校卒業、青山学院大学経営学部除籍。愛称は、佳ちゃん、スケちゃん、桑っちゃん、桑っちょ、桑田くんなど。身長170 cm。
妻はサザンオールスターズのキーボード・ボーカル担当の原由子、姉は作詞家の岩本えり子。
1978年にサザンオールスターズのボーカルとしてメジャーデビューを果たし、1987年に「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」でソロ活動を開始した。サザンとソロ活動を交互に行い、ソロとして「波乗りジョニー」「白い恋人達」「明日晴れるかな」などがヒットしている。オリジナル・アルバムは1988年に『Keisuke Kuwata』、1994年に『孤独の太陽』、2017年に『がらくた』など計5枚、ベスト・アルバムは2002年に『TOP OF THE POPS』、2012年に『I LOVE YOU -now & forever-』、2022年に『いつも何処かで』など計4枚、ミニ・アルバムは2021年に『ごはん味噌汁海苔お漬物卵焼き feat. 梅干し』が発売されており、3時代および5年代でアルバム首位の記録を持つ。
楽曲のテーマは幅広く、ラブソング、エロティックな楽曲、生まれ育った茅ヶ崎および日本への強い愛情が表れた楽曲、世界平和などのメッセージが込められた楽曲、反戦歌、プロテストソング、応援歌、コミックソングやナンセンスな楽曲などが存在しており、茅ヶ崎および日本への愛情や誇りを持つ姿勢に関しては後述の通り生まれ育ったことへの感謝の念や日本人としてのアイデンティティを語ったり、古より伝わる日本語や日本の文化の大切さを説く言動をしたり、国旗日の丸の掲揚および国歌「君が代」の歌唱といったパフォーマンスをライブで行ったことでも表れている。当初は歌詞の意味に特段のこだわりはなかったが、活動が続くにつれてファンや周囲の反応から心境が変化していき、洗練されたものになっていった。1980年代にはKUWATA BANDで全編英語詞のアルバムにも挑戦したが、1990年代以降は日本語を前面に押し出した作風に方向性を転換し、「月」(1994年)や「東京」(2002年)など、文学性と日本情緒をたたえた作品を発表。年輪を重ね、歌詞の世界は陰影を濃くしていった。Apple Musicからは「『がらくた』の時期には極めて洗練された日本語ポップスの境地へと到達している」と評されている。また、後述にもあるように当初は海外のロックやソウルミュージックの影響が強いソングライティングや歌唱法で知られていたが、次第に日本の伝統芸能や歌謡曲に対する研究の成果が現れ、そういった日本的な要素を積極的に取り入れるようになった。振り幅の広さもあって楽曲・音楽性・功績はジャンルを問わず広範なミュージシャンから高く評価されている。
世界平和を希求したり、戦時中の兵隊の苦悩や戦死者や遺族などへの思いを馳せた楽曲を発表したり、北朝鮮による日本人拉致問題や新疆ウイグル自治区騒乱の被害者の心情に寄り添う言動を行うなど政治的な側面が存在するほか、エイズ啓発運動であるアクト・アゲインスト・エイズへの参加や、東日本大震災を含む様々な災害の被災地復興支援活動を行っており、2022年には同級生のアーティストらと制作した楽曲「時代遅れのRock'n'Roll Band」で収益の一部をセーブ・ザ・チルドレンに寄付するなど、音楽活動を通して社会的貢献を行っている。
自身について桑田は「僕は、男っぷりや人間性、社会性は他のミュージシャンに負けているかもしれない」と謙遜したうえで、これだけは譲れないアイデンティティとして音楽活動を行っている旨を述べている。自身の音楽観について「言い訳が許されない音楽っていうのが一番正しい」と述べており、それは自身にとってはポップスであるとしている。また、桑田は「楽曲というのはその時々の気分を反映したもの」といった持論を述べている。
音楽活動においてソロ・サザンを問わず、メンバーやスタッフとの連携を大切にしており、ライブのリハーサルの際には誰よりも早くスタジオに入り、一人一人に挨拶をして回ることが語られている。レコーディングの際には作ってきた歌詞がついていないメロディのみの曲をギターで弾きながらメンバーやスタッフに聴かせ、各自がコード、リズムパターン、フレーズ、各楽器の音色などを確認し、練習中に投げかけられるメンバーからの質問に丁寧に答え、桑田からもアレンジについての気づいた点を伝えていくなど、綿密な打ち合わせを行っている。この作業で桑田の頭の中にあるメロディをメンバー各自が共有し、演奏に向けたイメージを膨らませていき、アレンジにアクセントを付けながら曲の特徴を出していく。桑田は「曲作りは総力戦です。サザンのメンバーはもちろん、スタッフも、曲作りのきっかけになり得る。誰かの鼻歌や雑談から曲が膨らむのも、よくあること。サザンというのは五人のことじゃなく、数十人のスタッフをひっくるめた総称ですよ」と発言している。制作のモチベーションが上がるきっかけはクライアントやスタッフからの依頼があり、締め切りが明確に存在してからであるといい、自身の立ち位置を「職業作家」と語っており、タイアップ先のコンセプトや内容に合わせて制作することもある。近年はコンプライアンスにも配慮しており、レコード会社やマネジメントの若いスタッフに相談を持ちかけることがある。
ソロとサザンの違いについて桑田は「やってる途中でよくわからなくなってきた」と述べており、ソロのほうが「逆に匿名性が高い」「フェイクしやすい」と述べている。またインタビューで「サザンはサザンの楽しさがあるんですが、ソロは課外授業的な楽しさがあるんですよ」「サザンがあるからこそ、ソロが美味しいのかな」と語ったり、「自分にとってサザンは家庭・家族みたいなものであり、言わばサザンの楽曲はその子供たち。一方、ソロの曲は愛人の子供みたいなもの」と例えたり、武藤敬司とグレート・ムタとの違いを引き合いに出したりしたこともある。また、ソロ活動については「でも僕はずっと仲間とやってきてますから、ソロだけどソロじゃないな、って思うんですけどね」とも発言している。桑田は音楽において名義は重要かつ雄弁に方向性を指し示すものであり、音楽のモチベーションを高める最大の要素であるという持論を語っている。妻の原は桑田のソロとサザンの違いについて聞かれ「ソロ作品は、サザンという名前に縛られず、より自由に私的に音楽表現を楽しんでいるように思います」「その時々の桑田の精神状態でしたり、時代背景が思い出されますね」「素晴らしいミュージシャンの方々との出会いもあって、刺激され新しい扉を次々に開けて、切なくも自由奔放に歌うソロ作品が大好きです」と語っている。
歌唱法はジョー・コッカーや前川清から影響されており、シンコペーションを多用している。学生時代にダミ声が流行しており桑田も声を潰そうと思って声質をより近付けるため、ウイスキーを飲み自宅の部屋にこもって枕に顔を押し付けて大声を出し続けるといったことを行っていた。アマチュア時代および活動初期は日本語と英語のダブルミーニングの歌詞や早口な歌い方を取り入れていた。この歌いまわしは「桑田節」「桑田語」と形容されることがある。桑田の早口の歌い方に視聴者が「歌詞が判らない」と苦情を寄せたことが、テレビの音楽番組において歌詞の字幕スーパー(テロップ)が流される端緒であるといわれており、テレビ局が桑田の歌い方に対応するために音楽番組での字幕スーパー表示を行ったとされる。桑田はかつての自身の表現方法への反省の弁を語ることがあり、近年は楽曲によって自覚的に前述の手法を取り入れたり、明解な日本語で歌詞を書いて丁寧に歌ったりするなど、表現を使い分けている。この変化に関しては「日本人歌手としての自覚が強くなった」と語っている。また、英語や早口な歌い方を用いない美しく明解な日本語の歌詞の楽曲を制作した例では原由子に提供した「花咲く旅路」「京都物語」「旅情」などがあり、桑田は原の歌声の魅力を「日本の原風景を感じさせる要素がある」と考えている。歌の上手さを数値化したり説明したりすることはナンセンスという持論があり、桑田が思う最強の男性歌手は尾崎紀世彦、最強の女性歌手はちあきなおみである。
楽曲の制作はほとんどが作曲した曲に詞を当てはめる「曲先」で行うが、楽曲によっては作詞から先に行う「詞先」の場合もある。作曲はギターを弾きながらメロディを口ずさむアナログな方法で行われており、パソコンを使う作業の大半はスタッフに任せている。このギターを弾きながら行われる作曲作業の際にサビの歌詞の断片が口をついて出てくることがある。その代表的な例として「エロティカ・セブン」「マンピーのG★SPOT」が挙げられている。また、「イヤな事だらけの世の中で」はサビの歌詞とメロディの断片が同時に浮かび、そこから逆引きして楽曲を書いていった。アイディアが浮かぶタイミングは一人で車を運転しているときや仕事先に向かう移動中など、何かを考えながら動いているときが多い。常にICレコーダーを携帯しており、思いつくと録音を行っている。レコーディングは作曲作業と事実上並行する形で楽曲の断片をスタジオに持ち込むところから始まっており、テンポを決めて「クリック」と呼ばれるガイド音を作成したのち、ギターやシンセサイザーを弾きながらイメージを模索し、1つの楽曲としての骨格が見えてきたら仮歌を吹き込み、気になった箇所を歌い直す作業を繰り返していき、桑田の頭の中にある理想のメロディに近づけるために慎重かつ丁寧に突き詰めていく。この制作方法は通称「桑田スタイル」と言われている。以後も各楽器を録音し、作詞をした後にボーカルやコーラスを録音していき、楽曲の完成形を模索する。原由子や坂本冬美などの女性歌手に楽曲を提供する場合は最初に桑田自身のキーで楽曲を作り、レコーディング時にその歌手と共にキーを調整していく。桑田は楽譜を読めず、サザンのメンバーで楽譜を読めるのは原のみである。ICレコーダーが普及する前は楽譜やコード譜などは原が書いていた。ICレコーダーの普及後は編曲や全ての楽器を桑田が担当した「MUSIC TIGER」「素敵な未来を見て欲しい」のように原を頼らない形での楽曲制作やレコーディングが不定期ながら行われることもあった。現在はコード譜に関しては桑田も書けるようになっており、レコーディングに向けたリハーサル合宿では桑田がコード譜をホワイトボードに書き、歌詞がついていない状態のメロディを歌い、それに合わせてメンバーが演奏していき、アレンジを模索していく。また、原由子に提供した「夢をアリガトウ」のレコーディング時には作者である桑田がサポートメンバーの片山敦夫に原のキーに合わせた際のコード進行のイメージを予め伝える場面が記録されている。コード進行が分かるようになってからも、テンションについては原に考えてもらっている。
作詞はソロ・サザンを問わず、エロティックな内容や放送禁止にならないギリギリの線を狙う場合も多く、意味不明なものや辻褄が合わないものもある。本来とは異なる語法を使うことがあり、例えば「Ya Ya (あの時代を忘れない)」「希望の轍」などにおける作詞では「忘れられぬ」を「忘られぬ」と表現している。また、下記の真面目な楽曲や反戦や社会風刺がテーマの楽曲によりアルバムがシリアスになりがちなため、エロティックな作風の楽曲はそのようになり過ぎないようにするためのバランスとしての役割も果たしている。生まれ故郷の茅ヶ崎市や高校時代を過ごした鎌倉市への郷土愛や、気に入っている御霊神社を始めとした鎌倉市周辺の散策コース、自身が好きな街と公言している京都や日本に生まれ育ったことへの誇りを持っている旨などを歌詞のモチーフにすることもある。かつては「自分もアメリカ人やイギリス人みたいになりたい」「いつかなれるんじゃないかって本気で思ってた」と考えるほど海外のロックに憧れていた。1980年代にはバブル景気などの影響も相まって「日本人のポップスやロックが、海外でも通用するんじゃないか」という期待が湧いたこともあり、全編英語詞の楽曲を制作したり、外国人のレコーディング・エンジニアを起用したり、海外のアーティストとコラボレーションするなどの活動を行っている。しかし、海外に出向いての活動を経験すると自信を失ってしまったといい、「向こうの流儀を真似しているようでは、太刀打ちできないのは当然」と思うようになったと明かしている。次第に欧米人になれるわけないと気づき「やっぱり、自分では日本語しか操れないってことが、逆にそれは強い武器になると思うんだ」「だからこそ自分がロックっていう枠組みに向かっていくときには、逆に日本人の良さを出したいというか、和の感じで勝負したいなと思うんです」「日本人として、日本の皆さんに楽しんでもらえる、日本語としてのポップスを作ろうと思った」と方針転換をし、日本語の歌詞を重視した和洋折衷な作品を目指すようになった。日本語で歌詞を書くことについては「日本語ならではのエモーション、情念みたいなものが出やすいと思います」と語っており、例えば奥村チヨの「恋の奴隷」に関しては「今だとありえないような曲ですからね。だけど、道徳と不道徳が歌のなかで相まみえるのは、すごくいい世界だなと思うんです」と述べている。また、2013年のインタビューでは「古来、百人一首や万葉集の頃から、日本語には言い回しや隠れた言葉の裏読みといった、通信機能や暗号のような楽しさがある。たとえば"き"という言葉があるとしたら、それは気や木や記と、イントネーションひとつでいろんな意味へと変換できる。いい歳をして、そんな日本語の凄みにようやく開眼したところなんですよ」と語っている。1998年と2018年にそれぞれ発売されたサザンのベスト・アルバム『海のYeah!!』と『海のOh, Yeah!!』を聴き比べた際に、前者を「英語と日本語を融合させようとあれこれ格闘している跡が見てとれます」、後者を「やっぱり日本語を大切にして歌いたいという気持ちが、全面に出ていますね」と自己分析した。高瀬康一はアルバム『ROCK AND ROLL HERO』への批評文において「西洋の音楽への憧れと、自分の中に流れる日本人の血との折り合い。そんな全ての日本人アーティストが思い悩む課題を、桑田佳祐は完璧にクリアしたと言っていいかも知れない」と評し、小林克也も2017年のインタビューで桑田のことを「日本人の洋楽コンプレックスを解放してくれた男」「明治や大正の文豪に連なる人」と評価している。桑田はインタビューで最近の音楽にハナ肇とクレージーキャッツやザ・ドリフターズが持っていた演芸の要素が乏しいことを嘆いており、日本人のお祭り騒ぎの血や海外の表現を模倣する楽しさをメインストリームで表現することの大切さを語っている。また、スペイン語やハングルを「ミスマッチの仕方が、多少定番とズレている方が面白い」という興味本位な理由で歌詞や映像に取り入れたことがある。しかしハングルを取り入れた「LOVE KOREA」は出自や思想に関するデマがネット上に流れる遠因になった。「愛の言霊 ?Spiritual Message?」ではインドネシア語のラップの歌詞を書いた。インチキ外国語が主体の楽曲も存在しており、藤村有弘やタモリに少なからず影響を受けた。タイトルについては「名曲に名タイトルあり」「ポップスはタイトルがすべてである」といった言葉を名言と述べており、あまり悩むことなく付けられたタイトルほど楽曲の出来栄えと共にはまり方がよかったとしている。日本人の造語感覚が大いに発揮されているのが邦題であるといい、ピンク・フロイドの「原子心母」(Atom Heart Mother) やニール・ヤングの「孤独の旅路」 (Heart Of Gold) といった邦題を称賛している。以前は作曲家としての自分と作詞家としての自分の棲み分けが微妙であったが、現在は作曲作業とは別に作詞するという作業があることに神聖さと喜びを感じていると述べている。
幅広いジャンルの音楽やミュージシャンの影響を洋邦や年代を問わず受けている。10代のころから広範な洋楽を聴き、桑田自身が言うには「咀嚼じゃなく丸呑み」するように吸収してきた。学生時代に影響を受けたアーティストは、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、デヴィッド・ボウイ、リトル・フィート、ボブ・ディラン、ニール・ヤングなどがいる。特にビートルズから受けた影響は大きく、姉やピアノを弾いてハモり方を桑田に教えた友人の影響もあり、高校一年の頃には全ての楽曲を覚えていたという。また、奇しくもジョージ・ハリスンが死去した日に開催された『Act Against AIDS 2001 桑田佳祐 plays "The Beatles" クワガタムシ対カブトムシ』の中で「音楽を教えてもらったのはビートルズでした。僕が今日ここ(パシフィコ横浜 国立大ホール)にいられるのも、ビートルズのおかげなんです」といった発言をしている。自著では、種々の音楽をビートルズを基準に聴いていると述べており、ビートルズは「人生の道標」としている。メディアなどではジョン・レノンからの影響を受けた側面が語られる頻度が多いが、実際はポール・マッカートニーから受けた影響も大きく、桑田は「ビートルズは本当はポールが一番好き」「ポール・マッカートニー派」といった旨を度々語っている。亀田誠治は桑田の音楽性について「桑田さんの中にはジョン・レノンとポール・マッカートニーの両方が存在してる気がするんですよ」「いわゆるジョンのディープな精神性と、ポールのポップな音楽性。その両方が絶妙にブレンドされてる」と指摘している。また、このころの桑田は『TBS歌のグランプリ』などの1960年代当時の流行の歌謡番組も欠かさず観ており、美空ひばり、石原裕次郎、欧陽菲菲、辺見マリの楽曲を全部知っていたというほど歌謡曲にも熱中していたが、それを本人が言うには「馬鹿だったから」という理由により当時は周囲に言えなかったことを明かしており、自身が年齢や音楽的なキャリアを重ねたことで「だから今はもう自信を持ってね、歌手として日本人として声を大にして歌謡曲のファン、申し子であることをカミングアウトできるんです(笑)」という心境に至ったことを2007年のインタビューで語っている。2019年にリリースされたBlu-rayボックス『平成三十年度! 第三回ひとり紅白歌合戦 三部作コンプリートBOX大衆音楽クロニクル』の特典のブックレットのインタビューでは「日本の歌謡曲は実に偉大じゃないかと。誇るべきものであって、決して侮れないし、これからもう一度学ぶべきじゃないかって。かつての昭和40年代、50年代、遡って昭和30年代もそうですけど、その時代の歌謡曲や演歌を集めて聴き始めた時に、全部が自分の身体に沁み込んでいる、血肉になっているじゃないかと。まあ、歳をとればとるほど(笑)気付かされるんです」と語っている。また、吉田拓郎、加山雄三、筒美京平、すぎやまこういち、宮川泰の作品やフィラデルフィアポップスにも影響を受け、それらは後の演奏や作曲などの音楽活動の下地になっている。特に吉田拓郎から受けた影響は大きく、桑田が作曲を始めた動機は1972年に富士フイルムのCMソングとして使用されていた「HAVE A NICE DAY」を聴いたことによるものだった。また、桑田は「拓郎さん目標に、憧れて音楽やってきた人、私もそうですけど、いっぱいいます」「おとこ気とかカリスマ性という感じの人じゃなくて、もっと細い、甘酸っぱい、手の届きそうな、頼りになる兄貴のような人物でして。拓郎さん、私もファンでございます。(中略)私は高校1年の時ですよ、『元気です。』『人間なんて』…その風を真正面に受けて、夢を見せてもらいました」などとも述べている。加山雄三は桑田の楽曲に自身からの影響を感じ「似てるな?」と指摘したことがあり、これに対して桑田は素直に「マネしてます」と答えたため、「それで良いんだよ」と進言している。また、桑田はすぎやまこういちの才能や人柄への敬意や思い入れの深さを度々語っており、すぎやまがパーソナリティを務めたラジオ番組を愛聴していたほか、すぎやまが作曲した「君だけに愛を」「学生街の喫茶店」「恋のフーガ」「銀河のロマンス」を『ひとり紅白歌合戦』でカバーしている。特に「学生街の喫茶店」に関しては「ものの見事に完成されたプログレッシブ・ロックなんだよね」と高く評価する発言をしている。また、文部省唱歌、沖縄音楽などの影響も受けており、度々そのイメージを楽曲に取り入れている。1990年代後半にはレディオヘッドに傾倒し「01MESSENGER ?電子狂の詩?」「世界の屋根を撃つ雨のリズム」などの当時のサザンの楽曲に影響を与えている。ほかにも尾崎紀世彦、内山田洋とクール・ファイブ、ザ・ピーナッツ、ハナ肇とクレージーキャッツ、宇崎竜童、藤圭子、浅川マキ、弘田三枝子、中島みゆき、坂本九、森繁久彌、加藤登紀子、小林万里子、岡林信康、野坂昭如、早川義夫などのミュージシャンにも影響を受けた。このように様々なミュージシャンからの影響や要素を音楽性に取り入れていくことについて桑田はインタビューの中で「模倣とか妄想とか。この喋り方だって、誰かを真似しているわけだしね。それは最近、しょうがないと思って。オリジナリティってないんですよね、自分のなかに」「自分らしさを訴えていくのは苦しい。好きな人がいっぱいいるというのが幸せ」といった旨を語っている。また、松任谷由実、郷ひろみ、西城秀樹、HOUND DOG、鈴木雅之、松山千春、Chageや「時代遅れのRock'n'Roll Band」で共演した佐野元春、世良公則、Char、野口五郎などの同世代のミュージシャンやaiko、宇多田ヒカル、ゆず、スピッツ、Mr.Children、奥田民生、槇原敬之、福山雅治、長瀬智也、ONE OK ROCK、米津玄師、GLIM SPANKY、YOASOBI、緑黄色社会、Official髭男dism、菅田将暉などの自身より年下のミュージシャンに対しても敬意を表している。THE YELLOW MONKEYに対しては「直球勝負ならイエローモンキーには勝てない」と語り、その音楽性を高く評価している。
国民の生活に寄り添う内容となっている「現代人諸君!!」のような楽曲が存在するほか、いじめや差別などを「飛べないモスキート (MOSQUITO)」「どん底のブルース」の歌詞のテーマにしたり、北朝鮮による日本人拉致問題の解決を求めてソロ名義の「漫画ドリーム07」やサザン名義の「Missing Persons」などを制作したり、新疆ウイグル自治区騒乱といった事件を「漫画ドリーム09」の歌詞のテーマにするなど重大な人権問題の被害者の心情に寄り添う楽曲も発表している。また、拉致問題、ミサイル発射実験、核問題や主体思想といった北朝鮮の諸問題への批判をビートルズの「サン・キング」に乗せて歌う、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を意訳して歌う、自身がレコーディングに使用している青山ビクタースタジオに近い明治神宮外苑の再開発計画に対する問題提起を歌った「Relay?杜の詩」をサザンの楽曲として発表するなど時事問題を歌にすることがある。このように社会を風刺したり世相を憂う趣旨の楽曲も多数存在するが、特別な意図を持って制作していたわけではなかった旨がインタビューで語られており、桑田は「正直、そこまで社会に対して問題意識を抱いていたわけじゃなかった」「ジャーナリスティックな視点でロックやポップスを描くようなトレンドがあって、自分もそこに乗っかっていた」、ビクターのスタッフは「桑田さんは、ミュージシャンである前に一人の日本人だということを昔からよく言っていたので、今の日本の置かれている状況を感じ取って、特別に意図的ではなく、自然な感じで作っていると思うんですよね。桑田さんはあくまで音楽の表現者であり、世の中に対して直接政治的な動きは全くしないでしょうから」という見解を示している。実際に桑田が公の場所で政治的な言動を行うことは非常に稀であり、先述のビクターのスタッフは「一人の日本人としての責任や自覚をしっかり持っているということだと思います」と評している。これについて桑田は2015年にSWITCHのインタビューで「そもそも風刺というのは人を過剰に傷つけるものではあってはならないと思うんです」「僕は何かのデモや運動の先頭に立って旗を振りたいわけじゃない。ただ、それでもおかしいことはおかしいと思うものだし、たまたまそれがきっかけで音楽が生まれたのなら、それを歌えない空気も、そこで歌えない自分も僕は嫌なんです」と語っている。また、明治時代に流行した「オッペケペー節」については強烈に世相を皮肉ったものであり、このような反骨精神や滑稽と風刺の精神が肝心であるといい、闇雲に正義を振りかざせばいいわけではない趣旨を述べている。2021年にYahoo! JAPANのインタビューを受けた際には風刺をする上での『似合う』/『似合わない』や、ビートたけしと明石家さんまを比較した上での芸風やキャラクターによる政治的な発言の『向き』/『不向き』、直接的な政治批判を否定的に捉え、ボブ・ディランの「風に吹かれて」の示唆的な表現を評価した上での『上手い』/『下手』といった分析を行っている。反戦や平和への願いを込め、戦時中の兵隊の苦悩や戦死者や遺族などへの思いを馳せた楽曲も存在している。桑田は「歌を歌うこともある意味語り部のようだと思う」と語ったことがある。
ベース、ドラム、ピアノ、キーボードなどバンドで必要な楽器は、一般に披露することは滅多にないが、一通り演奏できる。ごく一部のソロ作品のレコーディングでは桑田が全ての楽器のパートを担当した楽曲もある。特にベースを弾くことについてはかなり細部までこだわりがあることが語られており、原由子に提供した「夢をアリガトウ」のレコーディング風景にスポットを当てた『桑田佳祐の音楽寅さん ?MUSIC TIGER?』2009年7月19日放送分第12回 「夢のような企画」では、自分が納得するまで余念なくベースのフレーズを追求し弾き続ける桑田の姿が放送された。スライドギターのボトルネック奏法によるソロプレイをレコーディングやライブで度々行っている。
視聴者や観客を冗談や物真似および扮装で笑わせることを重要視している。また、自身のことやこれまでの音楽活動を自虐的に語り、制作した楽曲やアルバムの反省点を述べたり、過去の言動やパフォーマンスに行き過ぎた部分があった場合には自らの非を認めることもある。音楽活動の中で一番好きなのはライブのメンバー紹介で、あの時間だけは永遠に失いたくないと語っているが、一方、音楽活動の中で一番苦手なのはライブであり、ライブという団体競技が性分に合わないことや段取りの大変さ、体調に対する心配などを述べている。
カバーしたい楽曲はあると桑田は公言しており、自身の冠番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』『桑田佳祐の音楽寅さん ?MUSIC TIGER?』やライブ『ひとり紅白歌合戦』にてジャンルやキャリアを問わず洋邦幅広い楽曲のカバーを行っているが、カバーアルバムは制作しないとコメントしている。一方で『ひとり紅白歌合戦』『THE ROOTS ?偉大なる歌謡曲に感謝?』のようにカバー曲をメインとした映像作品は存在している。また、藤代冥砂から「消えゆく日本の古い歌、民謡などを桑田さんの声でカバーアルバムとして後世に残してほしいのですが、実現の可能性は?」と質問された際には、「いいですねェ」と前向きな反応を示し、企画が実現する可能性を「期待を込めて70パーセントぐらいでしょうか?」と肯定的に述べていた。
自身が制作した楽曲の中で好きな楽曲は「あなただけを ?Summer Heartbreak?」「SEA SIDE WOMAN BLUES」「イエローマン ?星の王子様?」「100万年の幸せ!!」と語っている。また、桑田が考える日本の三大名曲として植木等の「ハイそれまでョ」、笠置シヅ子の「買物ブギー」、藤本二三吉の「祇園小唄」を、世界で一番好きな楽曲としてヒデとロザンナの「愛の奇跡」を挙げている。愛唱歌としてビートルズの「イン・マイ・ライフ」を挙げており、無人島に1枚だけアルバムを持っていくとしたらポール・マッカートニーの『マッカートニー』であるといい、中でも「ジャンク」と「恋することのもどかしさ」が好きである。
桑田は自身の思想について「僕には何か特定の主義もなければ思想もありませんし、右でも左でもリベラリストでもなけりゃ、聖人君子でも何でもない」と述べている。また、桑田は社会風刺をテーマとした楽曲を発表する際には直接的な一つの主張に偏り過ぎず、バランスをとることが大切である旨を度々語っている。ただし、一方でそのすべてが上手くいった訳ではない旨も明かしており、「自分でも『ROCK AND ROLL HERO』などは結構気に入っているけれど、付け焼き刃っぽくて底が浅いと言うか、後悔が残った曲もたくさんあるんです」と語っている。桑田は生まれ育った日本への強い愛情や世界平和を希求する思いを持ち、その旨を楽曲の歌詞に込め続けており、『桑田佳祐のやさしい夜遊び』では「たかが歌なので大した力はないかも知れませんが、私は日本を愛する者ですし、平和を願う者として、“希望の苗を植えていこうよ、地上に愛を植えていこうよ”というメッセージをお伝えしたい」と「ピースとハイライト」の歌詞に込めた思いをコメントしたことがある。桑田を長年取材している音楽ライターの内田正樹は同楽曲を「日本への愛と世界平和への願いを、世代を超えて共有したいという理想が歌われていた」と高く評価している。また、勝谷誠彦は桑田の思想・哲学について「桑田佳祐は右でも左でもない。アナキストなのだ。ただし、愛国者であるなとは、私はときどき感じるのである」と評価している。音楽ライターの兵庫慎司も桑田のことを「基本的に、民主主義と平和と自由を愛し、権力やファシズムを嫌う、すこぶる“ロックなミュージシャン“である」と評している。スージー鈴木は桑田についてロック音楽は何を歌ってもいいと解釈し、日本国憲法が保障する表現の自由および戦後の民主主義を謳歌していると評している。
イデオロギーを問うことはなく、先述した通りすぎやまこういちから加藤登紀子まで幅広いミュージシャンの音楽性に影響を受け、分け隔て無く楽曲や功績を高く評価している。彼らの幅広い楽曲をカバーした『ひとり紅白歌合戦』を映像化するにあたっては、桑田の人望と人脈によりすべての関係者の承諾を得ることに成功している。各界に幅広くファンや友人がおり、桑田は彼らにもイデオロギーを問わず分け隔て無く接している。日本だけに留まらずアジア圏(台湾、香港、韓国など)を始めとした海外のファンも存在しており、彼らにも分け隔て無く接している。また、桑田はレディー・ガガなどの親日家を公言する外国人に対して敬意を払っている。2014年秋に紫綬褒章を受章した際に皇居で拝謁した経験がある上皇・明仁や皇室に対する尊敬の念があることを述べている。なお、皇室関係者では天皇・徳仁がサザンの楽曲を好んでいることが理髪を担当していた人物の証言によって明かされている。
生まれ育った茅ヶ崎市に対する誇りを持っており、2000年にサザンとして行った『茅ヶ崎ライブ』では「茅ヶ崎に生まれて良かったです!!」と感謝の言葉を述べた。高須光聖に「今後、歌を歌ってはならない!という『歌禁止令』が世界で決まりました。最後に1曲だけ歌ってもいいと言われたら、どんな曲をどんなシチュエーションで歌いますか?」と質問された際に、文部省唱歌の「故郷」を挙げ「できたら、母校である茅ヶ崎小学校の、昔の音楽教室で、私の同級生たちと歌いたいなあ」と回答した。後に桑田は『宮城ライブ ?明日へのマーチ!!?』で同曲をハーモニカで演奏し、自身のラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』の生歌のコーナーでも歌唱している。2006年に『ap bank fes '06』に出演した際には「自分の中だけの原風景があるんです。それが『ふるさと』でね。僕のふるさとは茅ヶ崎なんですよ。そこの沼や池の匂い、そして街の肌触りとか、母のぬくもりがずっと心の中に残り続けていて。そういう母性や匂いを作品にしていくこととか、そういう気持ちがエコロジーなんだと思うんです」という思いを語り、実際に2007年には茅ヶ崎での少年時代の思い出を歌った「MY LITTLE HOME TOWN」が発表された。また、サザンの楽曲として2023年に発表された「盆ギリ恋歌」「歌えニッポンの空」「Relay?杜の詩」は共通したテーマを持つ三部作であるとメディアでは語られている。これらの楽曲はいずれも茅ヶ崎やレコーディングで通う東京・青山をテーマとしたものであり、鍵となる言葉として"ふるさと"がモチーフに取り入れられている。特に「歌えニッポンの空」は『茅ヶ崎ライブ2023』のテーマソングになり、実際のライブでも「ここ(茅ヶ崎市)で生まれて良かったという実に他愛もない新曲を歌わせてください」とMCで語った上で歌唱している。同曲を作詞する上での思いは強く、桑田は「歌詞を作ってる中で、日本人だったら自分の故郷とかね、離れた場所を思うとか、こう気にかけるってことがあると思うんですよね。特に今こう色々、日本中が過疎化してる。で、過疎化して地方から若者が外に出ていく。地方に仕事がないということがずいぶん多いと思うんですけど。そういうことをまあ、多少こう気に留めつつの『故郷』(というフレーズ)なんですけど」「正直やっぱり茅ヶ崎ライブでこの曲を歌っているってことを想定してましたけど、もっと茅ヶ崎だけじゃなくてなんか国民それぞれの『我が家』とか『故郷』という意味でね、そっち(のニュアンス)にちょっと振ったんですけどね」とレコーディング時に語っている。
日本に生まれ育ったことや日本人であることに対しても誇りを持っており、東日本大震災発生から一週間後に放送された自身のラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』では「日本の国民のみなさんは素敵で優しい人たちだと思う。この国に生まれて良かったなと思います」と発言した。古より伝わる日本語や日本の文化の大切さを説く発言も行っているほか、国旗日の丸の掲揚や国歌「君が代」の歌唱に対しても肯定的であり、ライブ・映像作品・ラジオなどでその姿勢を示している。日の丸に関しては、1984年に日の丸を持ったサザンのメンバーのイラストが及川正通によって制作され、情報雑誌「ぴあ」の表紙になったことがあり、また、サザン名義の「東京VICTORY」の歌詞にも「rising sun」という言葉でモチーフに取り入れられた。その理由について桑田は「戦場にもっていくとか、Show the flagじゃなくて(中略)スポーツとか音楽とか映画とか文化的なもので日本の国旗がたなびく感じ」「”金メダルを獲りました! “とか”頑張れ〜!“的な、そんなイメージもあるんですよね」と語っている。同楽曲のタイトルに「東京」を冠したことについては日本の象徴や「母国」「祖国」といった意味合いがあることを語っている。こういったことから同楽曲のタイトルと歌詞に対して日経エンタテインメント!(2018年9月号)では「桑田の日本に対する強い愛情がにじみ出た」と高く評価された。また、発売時のインタビューで「タイトルは東京ですけど、それぞれ自分の故郷を大切にしようと思っていただけたら」「これからは皆が元気で笑顔で日本中が住みやすい街になっていかないといけない」と全国のファンに向けて語ったり、先述した日本中の過疎化や商店街の活気がない街が存在することなどを憂い、「これからはちゃんと地方のことも考えていかないとダメな時代なんだろうな」といった旨を語ったり、自然災害の被災者へのお見舞いの言葉をライブのMCや替え歌で発信し「元気にいこうぜ!!アナタもアタシもこの国も」というメッセージを送ったり、『宮城ライブ ?明日へのマーチ!!?』で「ハダカ DE 音頭 ?祭りだ!! Naked?」を演奏した際に間奏で「子供たちの未来と大事な命を守りましょう!!」と叫んだりするなど、国民の生活に寄り添う発言を度々行っている。2022年の全国ツアー『お互い元気に頑張りましょう!!』の東京ドーム公演で「ヨシ子さん」を演奏した際にはラスサビ前の間奏のラップの内容を変更して東京の名所を讃え、コロナ禍や円安に振り回された日本および戦禍に襲われたウクライナの情勢を憂い、「ブラボーニッポン!!」と叫び国民にエールを送った。
平和や日本的なものという広い意味で「”和”という言葉が好き」といった発言をしており、2013年にサザンとして行ったスタジアムツアー『灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!』で「ピースとハイライト」を演奏した際のように日の丸をはじめとする世界各国の国旗が球体になって転がり、中央にピースマークが登場するという世界平和を希求する映像を取り入れたり、2012年にソロとして行った全国ツアー『I LOVE YOU -now & forever-』のように日本的な和風の要素などをライブの演出に取り入れている。2014年秋に紫綬褒章を受章することが報じられた際には「日本が、そして世界が平和でありますように」とコメントした。桑田の反戦を訴える姿勢は祖母や満州からの引揚者だった父の影響によるものである。桑田は「戦争なんて悲惨なことはもう二度とやるもんじゃないというのは、ともかく親父から刷り込まれました」と語っている。こうした思いおよび歌詞やステージでの演出意図がうまく伝わりきらなかったり、日の丸の掲揚に関連する誤ったエピソードや出自に関する誤った情報などのように、本来伝えたかった意図とは真逆の解釈のデマが流れたことがあるが、これについて桑田は「一部だけ切り取られて、まったく別の意味に受け取られるのは残念だなと。希望とか友好とか、前向きな思いが聴き手に残ってほしい」と語っている。広島県および長崎県に投下された原爆に関して桑田は「人類史上最悪の不条理」と表現している。また、「蛍」や「鬼灯」のように戦死者や遺族の心情に寄り添う楽曲も存在するほか、激動の時代を生き抜いた先人への感謝の念も述べている。ミュージック・ビデオや『第73回NHK紅白歌合戦』で「時代遅れのRock'n'Roll Band」を演奏した際には、ウクライナの国旗と同じ青と黄色の模様がデザインされたギターストラップを着用して歌唱している。同楽曲が制作された2022年にはロシアによるウクライナ侵攻が開始しており、歌詞の内容にも影響を与えている。2023年春に松任谷由実と食事をした際には「世界各国で起きている、さまざまな出来事に対しての憂い」「次の世代へ向けて今の自分たちに何ができるか」といった内容の会話を行い、最終的に桑田とユーミンは共に「今、この世界に必要なのは、争い傷つけ合うことではなく、互いに歩み寄り、穏やかに対話すること」という結論を出した。
日本人の従順さや平和ボケをしている自分たちを戒める発言を行っており、「真夜中のダンディー」「漫画ドリーム」「貧乏ブルース」「汚れた台所」「ROCK AND ROLL HERO」「現代人諸君!!」「いいひと ?Do you wanna be loved??」のようにそうした自戒の念や政治への風刺、マスコミおよびメディアへの批判などを歌詞に込めた楽曲や先述したいじめや差別、北朝鮮による拉致やウイグルの事件など人権問題をテーマにした楽曲も存在している。中野富士見中学いじめ自殺事件で亡くなった男子中学生がサザンのファンであったことが報じられており、この事件に心を痛めていた桑田は当時の墓前に花を供えた。桑田は日本社会の風潮について、文藝春秋(2018年10月号)のロングインタビューの中で「決して何かが解決したわけじゃないのに、なんとなくタブーみたいにして、そっと触らず済ませてしまおうということって多いように思います。それで、ちゃんと見つめてこなかったツケが、東日本大震災のときにまた噴き出してきた気もする」「政治のゴタゴタなんかも含めて、そういうことを言い募ったりすると、ましてや表現の中に織り込んだりすれば、『なんかちょっと変わってるね』『そういうの、あんまり面白くないからさ』と言われがちですが、そうやって未解決のものを積み上げてきてしまったことが、日本の最も弱い部分になってしまっているのでは?」と指摘し、向き合うべき深刻な問題を議論の俎上に載せることを避け、その場しのぎで見て見ぬ振りをしてやり過ごすことを危惧する発言を行っている。
1993年に開催された泉谷しげるの奥尻島救済コンサートおよびAct Against AIDS '93に参加して以来、チャリティー活動にも熱心に取り組んでいる。特にAct Against AIDSではエイズに対する正しい知識を広めるため、桑田佳祐&Mr.Childrenの作品として発表された「奇跡の地球」の収益の全額(約2.4億円)をエイズ対策に使用し、それ以降もコンサート活動やグッズ販売およびそこから得た利益を啓発パンフレットやポスターの制作、教育機関や保健所への発送に充てるなど役割を果たし終えるまで活動に貢献し続けた。事実上最後の参加となった2018年の『Act Against AIDS 2018 平成三十年度! 第三回ひとり紅白歌合戦』ではアンコールの際に原由子から「長い間お疲れさまでした」と花束を贈られている。桑田は25年に及ぶAct Against AIDSでの活動について「当時(1993年)はエイズについての理解も、感染や予防についての情報も、きちんと浸透していなかった。それを少しずつ知っていく過程は"差別"や"偏見"という言葉の意味を、あらためて理解するという点においても、とても良い機会となりました」と振り返っている。また、治療法の進歩による死亡率の激減や正しい知識の浸透により2020年にAct Against AIDSの活動が終了したことについては「今日、治療が飛躍的な進歩を遂げたこともまた、急激な時代の変容のひとつだったといえます。活動当初は想像もしなかった画期的な展開でした(中略)『ひとり紅白』のナレーションでもお話しした通り、AAAの活動の根底には"人の弱さに寄り添う"というテーマがありました」と語っている。
東日本大震災が発生した2011年3月11日に、桑田は妻の原、バンドメンバー、スタッフとともに特番の追加収録をするために東京のNHKのスタジオにいた。直接的な被災はしなかったが、収録は取りやめとなり、桑田は次々と入る悲惨なニュースに心を痛めた。前年に食道がんで入院し手術を受け復帰したこともあって、当たり前の暮らしや人の命の大切さを痛感していた矢先のできごとであり、なおさら胸に沁みたという。また、楽曲やライブの収益を被災地へ寄付するなど、同震災を含む様々な災害の復興支援活動を熱心に行っており、チーム・アミューズ!!名義のチャリティー・シングル「Let's try again」のリリースに際して発表されたコメントでは、犠牲者への追悼の言葉、被災者やその家族へのお見舞いおよび現場で命がけで救援、支援活動を行っている者への激励の言葉を述べている。震災から半年後に『宮城ライブ ?明日へのマーチ!!?』が開催され、犠牲者への黙祷を捧げたり、「青葉城恋唄」および先述した文部省唱歌「故郷」の演奏や、「月光の聖者達」のアウトロでの日の丸の掲揚が行われ、「明日へのマーチ」では「願うは遠くで生きる人の幸せ」という部分を「願うは東北で生きる人の幸せ」と歌い、「祭りのあと」のアウトロでは会場のある宮城県のみならずパブリックビューイングが行われた福島県・岩手県および対象外だった青森県・秋田県・山形県といった東北の県名と「ありがとう」という感謝の言葉を叫び、日本および東北へエールを送った。同ライブのDVDに収録されているインタビューでは、被災者の苦しみなどの現実と前向きな表現とのギャップや、「自分の故郷がなくなったらどうなっちゃうんだろう」といった葛藤を述べつつ、桑田にとっての同ライブの大きなキーワードが「故郷」であったことを明かしている。実際のライブのMCでも「あの震災以来なんか、日本がというか、日本中が故郷みたいだなと思った人も多いと思うんですけども」としみじみと語り、会場がある宮城県を「故郷仙台」と称えたのみならず、ライブビューイングが行われた福島県・岩手県のことも「故郷福島でも、故郷岩手でもみんな見てくれてると思いますが、(当時の時点で)一番新しい曲を聴いてください」と述べて慮ったうえで「明日へのマーチ」を歌っている。同ライブ以降、会場となったセキスイハイムスーパーアリーナは"約束の地"としばしば称されるようになり、「震災を忘れない」「風化させない」という思いからサザンおよびソロの全国ツアー初日の会場に選ばれることが多くなっている。2012年には震災で大きな被害を受けた宮城県・福島県・岩手県の復興への願いを込め、同会場にソメイヨシノを3本植樹している。同震災から10年後の新聞のインタビューでは「音楽人として東北に向き合うことが、プライオリティー(優先順位)だと思っています」「『東北復興世代』と言うのでしょうか、東北復興のために活動するというのが、われわれの年代、世代にとっての第一のプライオリティーだと思っています」と述べた。
違法薬物の存在や薬物乱用については批判的な立場で「ドラッグに頼ればいい音楽をつくれるわけでもありませんしね」「(酒席でドラッグの使用を勧められた過去や、時間にルーズ・演奏中に高熱を出すといった薬物使用者の症状を語った上で)そんな風にはなりたくないなと思ったんですよね」「そっちの方向に流されなかったのは、運が良かったのかもね」と語っており、薬物の所持などで逮捕された元サザンメンバーの大森隆志を『桑田佳祐のやさしい夜遊び』で叱責したこともある。
日本の音楽シーンで長く活躍していることについて桑田は「好きな音楽を(2010年の時点で)32年間続けてこれたのは自分の才能とかじゃなく、スタッフやファンのお陰である」「自分は優秀なミュージシャンじゃない。(ファンやリスナーは)自分の手癖を愛してくださってるんじゃないかな」と語っており、福山雅治や平井堅がこのことを証言している。また、ドラマ『Sweet Season』(TBSテレビ)の内容に合わせて「LOVE AFFAIR ?秘密のデート」の歌詞を書き下ろす際の打ち合わせで「僕は(音楽の)天才じゃないから、ただ(音楽が好きだから)人の三倍は努力するけどね」と発言した逸話も残っている。オファーしたプロデューサーの貴島誠一郎は桑田の姿勢を「桑田さんは努力する才能がある『努力の天才』なのかもしれませんが、そういう意味では『桑田佳祐は長嶋茂雄と同じだ』と思いました」と高く評価した。
2005年にサザン名義で発表したインストゥルメンタルの楽曲「キラーストリート」のことを「もしかしたら音楽の神様がこの曲を私に与えてくれたのかもしれない」と語ったり、2008年に日産スタジアムで開催されたサザンのライブ『真夏の大感謝祭』のMCで「音楽の神様に乾杯!!」「音楽の神様が皆さんに微笑んでくれますように心から祈っています」と観客やファンおよび関係者に向けて叫ぶなど、「音楽の神様」という言葉を度々好んで使う。その一方で無神論者である旨を語ったこともある。
40歳のころに「他者との比較ではなく自分のなかで一番信じられる才能は?」との問いに「17歳のころの感性をいまだに信じられるところ」と答えた。太田光(爆笑問題)はこのエピソードを気に入っており、著書『違和感』で話題に挙げている。
座右の銘として「また逢う日まで」を挙げており、「『こんにちは』でも『さよなら』でもない、けっして重くも軽くもなく、人に対してこんなに気遣い溢れる、さりげない思いやりの言葉、美しい響き」と語っている。また、植木等の「だまって俺について来い」の一節「そのうちなんとかなるだろう」も座右の銘として挙げている。
桑田はサザンを解散させず長く続けている理由として「絶対、サザンオールスターズは解散しません。だってさぁ… もったいないじゃん!」と語っており、2005年に開催した全国ツアー『みんなが好きです!』の東京ドーム公演のMCではサザンの活動について「これからもゆっくり、命ある限り続きますんでよろしくお願いします」と発言している。
ファンや観客への呼びかけとして『宮城ライブ ?明日へのマーチ!!?』の終盤のMCで「諦めないで 何事も 無理しないで 何もかも 人生を楽しんでください」と発言したほか、近年のライブではエンディングで「みんな死ぬなよ!」「頑張ろうな!」と叫びエールを贈ることが多くなった。
愛妻家として知られており、自身のラジオで「女の人の意見とかね、女の人の顔色うかがうっていうのは、これ基本ですね。生きる上で」といった発言をしている。2010年夏の食道がんの早期発見は、妻の原や幼なじみの医療関係者などを始めとした周囲の行動の結果であることが語られている。そのため桑田は病状の発覚直後に出演した自身のラジオ番組で「今後は原由子には頭が上がらないでしょう」と感謝の念を発言した。
作詞家としての秋元康の才能を認めており、秋元が作詞した楽曲を『桑田佳祐のやさしい夜遊び』でかけた際には「秋元さん弟子にしてください、稼ぎたい!」「(秋元が)『ザ・ベストテン』で構成作家していた頃に、(桑田が)アルバムを何枚も渡したじゃないか。仕事回してくれよ!」などとジョークを述べたこともある。
1981年にアンネット『アンネシャンテS』のCMに出演。椅子に座った桑田が「僕は男にも生理日があるべきだと思います。ああ、偉大なる女性に感謝」などと語る内容が女性層からの絶大な支持を受けた。当初は5月に2週間だけ放映する予定だったが、再放映を希望する声がアンネ本社に殺到し、「アンコール・キャンペーン」を張る女性誌まで現れ、同年8月から10月まで再放映された。当時男性が女性用生理用品のCMに出演するのは前代未聞の快挙であった。
2013年のサザンの活動の中で映画版『永遠の0』の主題歌のオファーを受けた際に製作途中の映画を観賞し、本人が言うには「手ぬぐいがビショビショになるほど」涙を流し、親しい関係者に「今年No.1の映画になるのではないか」と話し、「蛍」を書き下ろし提供した。情報の解禁に伴い発表されたコメントにおいて「『家族のために必ず生きて帰る。それこそが愛ではないか。』そう信じ、『待っている人がいる』ことそのものが生きる力となり、生きる原動力となっている。現代を生きる私たちにも通ずる、そんな主人公・宮部久蔵の姿に非常に大きな感動をいただきました」と述べた。同曲は原作者の百田尚樹から自身のTwitterで「胸に染みいるような素晴らしい歌」と評価されているほか、サザンファンを公言している弁護士の北村晴男や政治家の山田宏からも高く評価されている。
玉井詩織(ももいろクローバーZ)は自身の名前の由来がサザンの「栞のテーマ」から来ていることを桑田に直接伝えた。桑田はそれを受けて「(僕が)名付け親みたいなもんですね」と自慢し、笑いを誘った。
オカマのことを「男と女のハーフだからニューハーフだね」と、大阪のラジオ番組で「Bettyのマヨネーズ」(パブ)のママに名付け、「ニューハーフ」という言葉を世間に広めた。しかし桑田自身は、自分が広めたわけではないと否定している。
ラジオ・パーソナリティとしての評価も高く、特に『桑田佳祐のやさしい夜遊び』では自然体なトークや、楽曲制作の裏話、生歌などを繰り広げている。同番組では度々ユニークな名言及びいわゆる迷言を発しており、先述した思想や語録の一部は番組の中で発せられたものも含まれている。桑田は本番前からメモ書きなどの用意周到な準備を綿密に行い、アドリブでのトークを時間内に終わらせるように気を配っている。
楽曲と同様にエロティックな要素のある発言も多く見受けられており、当初は言葉が出なかった時や、シリアスな生歌や話題の後に照れくさくなると放送禁止用語を唐突に発言することもしばしばあったが、現在はトークのスキルが上がったこともあり、番組内でそういった発言をする頻度は減少傾向にある。
桑田は日本人であり、本人の口からも「やはり僕は日本人」「僕の中にあるのは、当然、日本人の情緒そのもの」と民族的立場を語っている。日本文化や古典への敬意を持っており、四季折々の情景や古語・都々逸・南京玉すだれを始めとした和風要素を楽曲の歌詞やライブの演出に取り入れている。特に歌詞に対してソロの楽曲「影法師」は「トニー・ヴィスコンティ風の幻惑的なストリングス・アレンジをバックに、しかし描かれている世界は俳句のような日本的情緒を漂わせている」と高瀬康一に評価されており、サザンの楽曲「通りゃんせ」は「桑田によって慎重に選ばれた日本語が 美しくも物悲しい鎌倉の四季を描いている。これを言葉の鳴りと流れを重視して力強く歌う事により、妖しさまでをも引き出している姿は圧巻である」とスタッフに評され、原由子に提供した「京都物語」は「京都に久しぶりに行ったときに日本の文化の良さを再認識して、そういうことに触発されてできた」「原さんにぴったりな楽曲」と桑田自身が制作経緯と出来栄えを簡潔に語っている。音楽プロデューサーの亀田誠治はこのような姿勢をとる桑田を「『日本人である』っていうことを最大の武器にして音楽を作られてる方だと思いますね」と評し、歌詞について「すごく日本っぽいキーワードをたくさん使ってる」「日本っていう国が持つ文化とか日本民族の歴史みたいなものを、桑田さんはごく自然に音楽の歌詞としてまとめあげてるんじゃないかっていう気がするんですね」などと高く評価している。また、DVDの冊子に越前和紙を使用したり、自ら春画風のイラストを書き下ろしてTシャツにデザインするなど、ソロ・サザンを問わずDVDやグッズなどにも日本文化や和風要素を意欲的に取り入れている。また、『桑田佳祐のやさしい夜遊び』でも日本の四季・風習や名所の魅力をリスナーから募集し、それを基に桑田が語る企画を度々実施している。
日本人が日本文化を見失ってしまうことへの強い危機感を持っており、そういった思いがあるゆえにビートルズなどの外国の文化への影響を受けている旨や日本的情緒を自身の音楽に積極的に取り入れていきたいことを語った上で「みんな日本人であることをもっと懐かしむべきだよ」と述べたり、サザンの11枚目のオリジナル・アルバム『世に万葉の花が咲くなり』の制作の過程で『万葉集』を読み返し、日本語独特の情緒や情報量の多さに興味を覚えつつ「この言葉を我々はなくしていいのだろうか」といった危機感を持った旨を語ったりしている。2012年にベスト・アルバム『I LOVE YOU -now & forever-』の発売に伴い放送されたWOWOWでのインタビューで「今興味があるのは日本の『和』。そういったものをステージに取り入れられないかと考えているところです」と発言し、著書『やっぱり、ただの歌詩じゃねえか、こんなもん』でも「古の日本文化を、ステージなどに取り入れるのも有りだろう」と同年に開催された全国ツアーの演出案を語り、実際に全国ツアー『I LOVE YOU -now & forever-』でその演出が取り入れられた。また、その後もサザンの15枚目のオリジナル・アルバム『葡萄』の制作経緯を「戦後70年、われわれ日本人の過去から現在、未来にいたるまでの生きざま、考え方を胸にメンバー、スタッフ一丸となって作り上げました」と簡潔にコメントしたり、2015年のサザンの全国ツアー『おいしい葡萄の旅』で百人一首80番(待賢門院堀河作)を朗読するなどの言動がみられている。なお、現在でこそ世界平和や友好を訴え、グローバルな発展などを意識したメッセージを発信しているが、過去には1999年発売の著書『素敵な夢を叶えましょう』の中で「日本はもう一回鎖国したほうがいいんではないかとつねづね思っててさ(中略)だから、貿易は出島だけですればいい(笑)。そうしたら、もう少し日本人の有り様、文化の中身みたいなものを考えるのではないかと。街並みなどもふくめて、とにかく我々は行政などが絡んでくると日本のいいところを捨ててしまいがちな気がするんだ」「中途半端に国際化を唱えるんであれば、いっそのこと鎖国したほうが日本人のパーソナリティには、合ってるんじゃないのかな」といった独自の鎖国論を唱えた時期も存在している。
「声に出して歌いたい日本文学