インタビュー
江戸時代の元禄赤穂事件を基にした『忠臣蔵』は時代を超えて多くの人に愛される仇討ちもの。時代劇の決定版ともいうべき名作が、このたび“令和版”として豪華キャストで蘇ります。主人公・大石内蔵助を演じるのは圧倒的な演技力と迫力ある立ち回りで観客を魅了する上川隆也さん。演出は、舞台『魔界転生』などで上川さんとは旧知の仲である堤幸彦さん。およそ1年ぶりとなる舞台作品に取り組む上川さんに、今の心境を聞きました。
上川隆也さん
役者の持つ色や光が絡み合って生まれるものが「芝居」だと思う
―― 上川さんは過去にも『忠臣蔵』を題材にした作品で、寺坂吉右衛門(舞台『最後の忠臣蔵』)、浅野内匠頭役(舞台『忠臣蔵〜決断の時』)などを演じてこられました。今作では主人公である大石内蔵助役となりますが、思い入れはありますか。
僕は役柄に強い思い入れを持って向き合うことはそんなにありません。以前、柳生十兵衛(舞台『魔界転生』)の役をいただいたことがありますが、そのときもそうでしたし、今回お話をいただいた際も、「大石内蔵助を演じるのか」という一言に尽きるといいますか……ただただ「新鮮」という心持ちです(笑)。初めて頂く役柄は、いつも同じように受け止めています。大石内蔵助という人物は、多くの人がさまざまな解釈で演じ、さまざまな魅力があるキャラクターだと思いますが、自分自身は役柄を「どこが好きで…」という観点では捉えたくないと思っています。また、今の時点ではまだ脚本をいただいていないので、なんとも言えないというのが正直なところです。そして、準備することもこれまでと変わりません。どの役も重さは変わらないと考えています。
―― 今作で、大石内蔵助の仇となる吉良上野介を演じるのは高橋克典さんです。どのように受け止めていますか。
高橋さんとの初めての共演を、とても楽しみにしています。吉良上野介のもつ既存のイメージは、高橋さんの持つ清廉潔白なお人柄とは大きく異なるでしょうし、それだけを取ってみてもこれまでの忠臣蔵作品とは色合いを大きく異にするだろうと想像できます。そんな吉良上野介と対峙することで、対極にいる大石内蔵助もきっと変わっていくはず。全体的にも影響を受けないわけはありませんから、今回の作品はまた新しい忠臣蔵になるのではないかと期待しています。
―― 出演者が変わるとどのようなところが変わってくるのでしょうか。
明確に「こうなります」とご説明するのは難しいのですが、役者のお芝居を「色」に例えるとわかりやすいかもしれません。僕自身の色は変わらなくても、調合する色が変われば、僕の色もまた違った印象を与えるはずです。また色とともに、お芝居には役柄が放つ「光」のような側面もあると思います。そんな色と光が物語の中で絡み合い、そこにさまざまな色合いが生まれていくことが「お芝居」なのではないかと思っています。色が多ければ華やかになりますし、あるいは作品としての重さも出てくるかもしれません。そうした変幻自在な可能性がお芝居の醍醐味のひとつであり、楽しいところであると思っています。
―― 上川さんは『忠臣蔵』をはじめ、今までたくさんの時代劇で、さまざまな人物を演じてこられてきましたが、それらの経験は今作にも影響すると思いますか。
それはわかりません。これから携わる作品ですので、あくまで想像でしか申し上げられませんが、まったく影響を及ぼさないということはもちろんないと思います。でも、最初からそれを見込んで、役の骨子にして作りあげる、ということもありません。今回の骨子は、鈴木哲也さんによる脚本、堤幸彦さんの手がける演出の中から作り上げていくべきものです。その中でもしかしたら、僕の過去の経験がスパイス的に効いてくる、立ち上ってくるということはあるかもしれません。ですが、それが今作で活かされるかは、お稽古が始まってからの話になるだろうと思っています。
究極の潔さのようなものが日本人の心の琴線に触れる
―― およそ1年ぶりの舞台出演となりますが、舞台作品への取り組みで毎回目標とされていることや、「これを持ち帰ろう」と意識されることはありますか。
その点に関しては、全くもって意識したことはありません。演出家や脚本家が求めるもの、描こうとしている世界にどれだけにじり寄れるか、その期待を豊かなものとしてお届けできるか、それが自分にとっての課題だと思っていますが、「持ち帰る」という発想で作品に携わったことはありません。ただ作品を終えた後には、自分のどこかに「くすぶるもの」として残るでしょうから、それが後の作品に滲み出てくることはあるかもしれません。そんなことを繰り返して、今日までやってきたように思います。
―― 役に取り組まれる際の心構えはありますか。
再演の作品を除けば、すべてのキャラクターは初対面です。これまでやってきたことのないことをし、新たな存在に出会うので、すべてが新鮮な瞬間です。だから飽きることがありません。演者はそれを幾度も重ねていくわけですが、それでも僕にとっては毎回が初めて、毎回が新鮮です。肉体的な困難、作業的な困難はもちろんありますが、それらもネガティブな要因になることもありません。
―― ストイックな上川さんは武士を演じられるのに本当にぴったりだと思います。
現代人も演じたいと思っております(笑)。
―― 演出の堤幸彦さんとは何度もタッグを組まれていますが、「堤さんならでは」というのはどんなところでしょうか。
堤さんが持っている作品の完成形は、最終的にお客様にご披露する瞬間が来るまで誰にもわからない、少なくとも、僕が今までご一緒させていただいた作品ではそうでした。「映像とお芝居が、舞台上でこんな形で融合するのか」という最終形は、劇場に行ってからでないとわかりません。それが「堤さんらしさ」といえるかもしれません。僕の作業は堤さんが示してくださる場所に向けてひたすら進んでいくことですが、そこに疑いを持つことはありません。稽古場で演出家の方に強いアプローチをすることは少ないほうだと思いますが、ときには「このような形はどうでしょうか」とご提案することはもちろんあります。ただそれも作品を作る上で可能性のひとつを提案しているに過ぎないので、取り上げられようが、取り上げられまいが、そこはあまり気にしない。こうした時間を重ねて作品が出来上がっていく過程は、お芝居をする上で僕が楽しんでいる部分のひとつだと思います。
―― 最後に改めて『忠臣蔵』という作品の魅力についてと、作品への意気込みをお願いします。
『忠臣蔵』は、武士の持つ「忠義」を熱く描いている作品ですが、物語の最後には誰も生き残らない…。ある意味、「滅びの美学」とでもいうべき、究極の潔さのようなものがあって、それが「散っていく桜を愛でる日本人」の心の琴線に触れるのではないかと、漠然とながら思っています。僕は時代劇が持つ、現代劇とは異なる人間の描き方やスケール感、懐深さが好きなのですが、『忠臣蔵』はそういった魅力を備えた作品のひとつであると思っています。現時点では脚本が届いておりませんので、なかなか確固たるビジョンというものは抱きようがないのですが、プロデューサーをはじめ、制作スタッフとの話し合いの中で、今作は長く愛されている“王道の”『忠臣蔵』としてお届けしたいという思いでは一致しています。時代の違いもあって、一歩間違えればテロリズムの物語と受け取られる恐れもある作品ですが、その要素を含んでいることはしっかり自覚しつつ、それでも多くの人が心打たれる『忠臣蔵』の面白さ、魅力をしっかりお届けしていきたいと思っています。
(取材・文/小川聖子)