KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『リア王の悲劇』メインビジュアル

KAAT神奈川芸術劇場
プロデュース

リア王の悲劇

イントロダクション
INTRODUCTION

今もなお上演され続けるシェイクスピア作品。
現代に通じる普遍的テーマを、実力あふれる俳優陣・スタッフで上演!

「リア王」には、クォート版『リア王の物語』とフォーリオ版(シェイクスピアによる改訂版)『リア王の悲劇』があり、この折衷版が『リア王』として上演され続けてきました。今回はこれまでの『リア王』とは異なる、河合祥一郎による新訳のフォーリオ版を、日本で初めてとなる舞台化。演出は、ミュージカルからストレートプレイまで多彩な作品を手掛け、本年2月に第31回読売演劇大賞の大賞を受賞するなど、いま最も注目される演出家のひとりである藤田俊太郎。初めてのシェイクスピア作品に挑みます。メインシーズン<某>(なにがし)の開幕作品となる本作は、人間とは私とは何かということを大きく問うことで、シーズンテーマに迫ります。

今回の上演では、時代をキリスト教が入ってくる前の3~5世紀のブリテンに設定し、人間としての在り方や尊厳を見つめ直します。特に女性の登場人物たちに新たな解釈を施しながら、リアの生き様を通して人間の本質に迫り、2024年の現在に問うべきテーマを多義的かつ豊かに表現します。

出演は、タイトルロールのリア王を、蜷川幸雄作品をはじめ数多くの舞台や映像など幅広く活躍をし、藤田が信頼をおく名優・木場勝己。リア王の長女ゴネリルを水夏希。次女リーガンを森尾舞。グロスター伯爵の嫡子でありエドマンドの策略により追いやられるエドガーを土井ケイト。追放されながらも姿を変え支え続けるリア王の家臣・ケント伯爵を石母田史朗。グロスター伯爵の私生児でありエドガーを陥れるエドマンドを章平。リア王の三女コーディーリアと、リア王に寄り添い影となる道化の二役を原田真絢。リーガンの夫・コーンウォール公爵を新川將人。ゴネリルの夫・オールバニ公爵を二反田雅澄。ゴネリルの執事・オズワルドを塚本幸男。リア王の家臣であり裏切りの果てに苦悩するグロスター伯爵を伊原剛志が演じます。

現代も輝きを失わずに世界中で上演され続けるシェイクスピア作品を、藤田がホールの空間を大胆に構築し演出する、今秋必見の舞台。どうぞご期待ください。

ストーリー
STORY

老いにより国王として退位を決意したリアは、国を3つに分け、3人の娘のうち自分を最も愛するものに財産を多く分けようとする。きれいごとを並べる姉たちとは違って三女のコーディーリアは正直な思いを述べるが、リアは激怒し、コーディーリアを勘当する。そして、姉たちは誰よりも父を愛すると言っていたにもかかわらず、リアを嵐の荒野へと追い出してしまう。裏切りの失意にリアは嵐を彷徨い、狂乱の果てに自身と向き合う――。

キャスト&スタッフ
CAST&STAFF

【キャスト】

木場勝己

水夏希 森尾舞 土井ケイト
石母田史朗 章平 原田真絢

新川將人 二反田雅澄 塚本幸男

伊原剛志

稲岡良純 入手杏奈 加茂智里 河野顕斗 
宮川安利 柳本璃音 山口ルツコ 渡辺翔

【作】
W.シェイクスピア

【翻訳】
河合祥一郎
『新訳 リア王の悲劇』(角川文庫)

【演出】
藤田俊太郎

インタビュー
INTERVIEW

人間は極限の中で何を知ろうとするのか

この度、 河合祥一郎による新訳フォーリオ版「リア王の悲劇」が日本で初めて上演されることとなった。これまで上演されることが多かった「リア王」(フォーリオ版とクォート版の折衷)とは少し異なるというこの新しい舞台の演出を手がけるのは、ミュージカルからストレートプレイまで多彩な作品を演出し、高い評価を得る気鋭の演出家・藤田俊太郎さん。「僕が演劇を志し、初めてニナガワスタジオで受けたオーディションのテキストも、シェイクスピアでした」と話す藤田さんに、今作に込めた思いを聞いた。
演出家・藤田俊太郎さん
演出家 藤田俊太郎さん

観る人にも「自分は某(なにがし)か」を問うような舞台を創りたい

――長塚圭史さんが芸術監督を務める「KAAT 神奈川芸術劇場」の2024年度メインシーズンのテーマは「某(なにがし)」。このメインシーズンの舞台「リア王の悲劇」の上演が発表されました。上演作品はどのように決められたのでしょうか。

舞台作品を作る際はまず企画ありきだと思っています。今回は芸術監督である長塚圭史さんが何を目指されているのか、劇場がどんなものを創ろうとしているのかを知ることが僕にはまず重要でした。
KAAT 神奈川芸術劇場について言えば、僕はこの劇場がとても好きなんです。もうすぐ開館15年を迎えるということですが、多岐にわたる演目を多様なアプローチで上演し続けている、その濃密な時間の中でたくさんの作品を拝見してきました。そんな劇場の芸術監督を2021年から務める長塚さんに「一緒に作品を創作してみませんか」と声をかけていただいたことは、本当に嬉しいことでした。
僕にはいつか演出してみたいと思っている作品や、目標にしている作品がいくつもあるのですが、今回は長塚さんはじめ、プロデューサー、制作の皆様と話し合いを重ね、この懐の深い劇場ではぜひ、シェイクスピアの「リア王の悲劇」を作ってみたいと思いました。
「リア王」は広く知られた作品です。物語は老王リアが、自分の権力や支配権を次の世代に渡そうと財産分与をしようとする場面から始まります。娘たちに愛情を競わせたものの最終的には、理不尽にも彼は荒野に放り出されます。地位も権力も無くなった人間とは、一体なんであるのか。まさに「お前は何者なのだ、某(なにがし)なのか」という問いが込められた、劇場のシーズンテーマに呼応する作品だと思います。
荒野に放りだされたリアは、そこで何を学び、どのように生きていくのか。
この物語の結末でリアが亡くなることはすでに多くの方がご存じだと思いますが、大切なのは「どう死んでいくか」そして「どう生きたのか」ということ。荒野に放り出され、狂乱と言われる状態、極限状態の中で人は一体、何を知ろうとするのか、それこそが大切なことだと思います。絶望の旅の中でリアは人間の生きざまを発見し、人として成長していきます。この作品は人間の醜さも描いているけれど、実は美しさも描いている作品なんですね。
そして、「自分は何者か」という問いは、ここに出てくる登場人物全員に突きつけられる問いでもあります。この作品の登場人物は、ひとりひとり実に個性的な目的を持って生きている。それぞれが生きる動機によって、ある人は暴力的になってしまったり、またある人は理不尽な支配を行ったりしてしまうことはありますが、それでも皆が自分の理由を持って、一生懸命生きている人間ドラマに、僕は非常に心を惹かれます。
最終的にはお客様にもそれぞれが、「自分は某(なにがし)であるのか」という問いに向き合っていただくことができるのではないでしょうか。まさに「某」というテーマにぴったりの舞台になるのではないかと思います。

それぞれが役を深く解釈し、リアルに躍動する舞台が理想

――すでに稽古がスタートしていると聞いていますが、どのように進めていらっしゃいますか。

「役者が躍動する舞台を作る」ということが大事だと考えています。役者が役を自分のものとして解釈して、リアリティを持って舞台上で生きる、その生き様こそが演劇なのではないかと僕は思っています。だから、できるだけ皆さんとは対話をして、それぞれが役を解釈する時間を作っています。役者の方々は、戯曲によって、役を演じることによって、「他者と自分はこんなに違うんだ」ということを発見していくものだと考えます。その過程に寄り添い、共に発見し、共に作っていくことができたらという思いを持って稽古を進めています。
「リア王の悲劇」は非常に優れた戯曲であり、今回採用している「フォーリオ版」のシナリオは、シェイクスピアが実際に作品を上演しながら改変し、作り直していったと言われているもの。ここではリア以外のキャラクターもひとりひとりがとても魅力的、かつその人々が影響し合う人間ドラマに非常に重きを置いたものになっています。僕は常々、「どの作品でも個々が輝くように」と思いながら舞台を創っているのですが、今作はまさにどのキャラクターも輝ける、言ってみたら“旨みの多い”作品 です。そして、 KAAT 神奈川芸術劇場さんは本稽古に入る数ヶ月前に、 数日役者の皆さんとお会いして演出や翻訳の話をする時間を作ってくださったんですね。そのような環境にも非常に感謝しているところです。

「リア王」の戯曲は、どの時代に当てはめてみても面白い

――出演されるキャストの皆さんとはどのようなお話しをされるのでしょうか。

話しているのは……そうですね、まずは先ほどの話の補足にもなりますが、役を解釈するという意味で、「なぜ」を突き詰めるようにしています。例えば、「なぜ、娘のゴネリルやリーガンは非情にもリアを追い出してしまうのか」。これ、ある側面から見れば非常に理不尽な行動なのですが、別の側面から見ると、実は彼女たちが生きるためには仕方がなかったと理解することもできるのです。そんな多角的な見方がどの人物に対してもできるので、そこを深めてもらえるよう対話しています。
また、作品全体を見渡して一番大事にしたことの一つは「世代」の話ですね。この物語は、大きく分けて3つの世代の人たちが出てくるんです。一番上は、従来の価値観で生きている、リア王と彼を守るグロスター伯たちの世代。その下が、ケント伯を中心とした中間世代。ゴネリル、リーガン、オールバニ公、コーンウォール公、オズワルドたちがいますが、この人たちは中間管理職のようにある世代とある世代の間に挟まれている存在です。そして一番若い世代が、次の支配者になろうと画策するエドマンド。彼はグロスター伯の私生児です。
ここで問題になるのは、それぞれの世代の価値観の違いです。例えばケントたち中間の世代の人たちは、自分たちの上世代の価値観に倣ってきましたが、今後もその人たちの言うことを聞くのか。一方、彼らより下の世代の、若い人たちの中には「前の世代の価値観は受け入れない、言うことは聞かない」という選択をする人たちもいます。そのとき、挟まれた世代の人たちはどうするのか……。
この3つの世代とはまた別の方向から関わってくるのが、実はリアを最も愛していた娘のコーディーリアと、リアにものごとの真実を告げていく宮廷道化師。リアに、王と王でない側面を伝える役割を担っているコーディーリアと道化師は実はイコールの存在。
さらにもうひとり、注目すべき存在にエドガーがいます。エドガーは、グロスター伯の嫡子ですが、エドマンドの策略により追いやられる存在。私たちのカンパニーはエドガーが女性だったらと、解釈しました。
これは別に奇を衒ったわけではなく、エドガーがもし女性なら、エドマンドがなぜあんなに怒っているのか、何に駆り立てられて支配を進めようとしているのか、グロスターは何を守ろうとしているのか、物語の筋がよりはっきりしてくると思ったからです。その上で、もしグロスター伯が彼女に家を継がせようとするなら、グロスターという人は、実は最も家父長制や男性的価値観から遠い人物なのかもしれない……。そうなると、もともと戯曲にあった内容も、新しい価値を帯びて新鮮に見えてくるのです。
この舞台の時代設定は、あえてキリスト教の価値観がこの国に入ってくる前の、3〜5世紀のブリテンにしています。それでもさすがシェイクスピアは未来人、どの時代のどんな状況に当てはめても、非常に面白い作品になる、その布石や要素が戯曲の中にたくさん散りばめられています。「多様性が叫ばれる今、2024年にこの作品を上演するなら?」という切り口で眺めても、やっぱり非常に面白いんですね。
それから8人のコロスについてですが、彼ら彼女たちは時と場合、状況に合わせて意見を変えざるを得ない民衆そのものだと思っています。あるときはこちらの味方になって、またあるときは敵になって……でも決して裏切りというわけでもないんです。民衆とはまさにそうやって生きていかなければいけない存在。見にきているお客さんの気持ちに寄り添い時に代弁する存在でもあります。この作品を眺めるさまざまな観点をコロスが体現することで、「リア王の悲劇」の中に、人間の生き様とか世界の総体とか、そんなものがみんな見えてくる気がします。
……みたいなお話を役者さんたちにはしています。もちろん演出プランや、切り口をお伝えしたのですが、皆さん実に自由にさまざまな考えや意見を述べてくださっています。

藤田俊太郎さん
――今の時代に置き換えても当てはまる普遍性はシェイクスピア作品の大きな魅力ですね。今の日本では、自分のかつての社会的地位や権力をふりかざし、周囲を辟易させる上世代の人の話などもよく聞きますが、今作ではそんな日本の今の状況も意識していらっしゃるということですね。

はい。ものすごく意識しています。今お話しされた方たちのような姿は、前半のリア王の姿とまるっきり重なるところですね。そして、そんな現実と似た状況を見い出したとき、面白いのはリアが荒野に出てからの展開だと思います。もし私たちがこの戯曲からなにかメッセージを受け取ろうとするならば、大きくは荒野でのリアの成長にあると思います。
これは言ってもいいことだと思いますが、リアのセリフには「三女のコーディーリアには悪いことをした。」というものがあります。でも、人生は後悔の連続であり、荒野に行ってすべてを失ったからこそ、リアには初めてわかったことがあった。でもそのときそれを伝える相手は誰もいません。それでも実はそこには道化が寄り添っているんですね。では、道化とは何か? それはおそらくコーディーリアの分身であると、私は思っています。
リアが成長し、新しい価値観に気づいて過去を反省し、若い世代の言うことほど受け入れなければならないと気づいたとき、道化は消え、リアは再びコーディーリアと再会します。本当に実によくできた構成だと思います。
リアは成長したからこそ、過去と向き合うことも、未来と向き合うこともできた。そう考えると、リアが私たちに教えてくれることはすごく大きいですよよね。今の自分が選択するものによって、会えるものと会えないものが変わってくる、ということが、リアの生き様を通して伝わってきます。そしてそのリアの選択を、ケントを中心とした中間の世代や、その下のエドガーを中心とした新世代がどう受け止めるか。自分はどう感じ、何を選ぶのか、誰もが選択を迫られる瞬間があると思います。

――実際の上演が楽しみになるお話です。

「超高齢化社会」と言われますけれど、上の世代の方々が私たちに教えてくれることはたくさんあります。ただその一方、世界では戦争は終わらず、独裁的な政権もある……というリア王の物語のときと変わらない状況が続いています。「リア王の悲劇」の中で支配を実現しようとしたのはエドマンド。エドマンドは自分の思想を突き詰めて好き勝手に進み、もうすぐすべてを手に入れることができる……と思った瞬間に転落していきます。ここにも、人間の慢心や、ひとつのものだけを信じてしまう心の弱さなど、今にも通じるシェイクスピアの教訓が含まれていると思います。

リア王たちの息づかいを感じられるような演出に

――今作は劇場の使い方にも工夫があると聞いています。

そうですね。まず、KAAT 神奈川芸術劇場はとても素晴らしい劇場です。高さも横幅もあるという物理的な最良ポイントと、バトンの数の多さなどの舞台機構の充実ぶり、お客様からはギュッとして見やすい一方、創作する側にとっても使いやすいという、劇場のひとつの理想型だと思っています。「自由に使っていい」と懐の深いことをおっしゃっていただいたので、今回は客席と舞台を地続きにする設えを考えました。舞台上に客席を組むようなセットなので、舞台の上にもうひとつ、お客様も登場人物であるかのように感じる舞台がある、と考えていただいたら良いかもしれません。
客席と舞台がつながっている空間を作ることで、お客様には荒野で雨に打たれるリア、焦燥感に苛まれるリア、狂気に震えるリアなど、世界と対峙しながら自分の生き方を見つめるその瞬間、その瞬間のリアの息づかいを間近に感じていただけるかと思っています。そうなれば、目の前のドラマがより自分のもの、自分のこととして体験できるのではないか。もちろん僕ひとりだけではなく、プランナー、スタッフからさまざまなアイディアが出された中から創り上げたものですね。

――シェイクスピア作品だからこそ、このセットを選んだということでしょうか。

そうですね。シェイクスピアのドラマは、観る人が「自分こそ当事者だ」と感じたときにこそ、その力が発揮されるものだと思っているので、そう感じられるような演出を意識しています。シェイクスピアというと、まだまだすごく昔の、遠い国のお話のように感じる方がいるかもしれませんが、実は全然そうではありません。今の、2024年の日本や世界の状況とまるごと重なっていくかのような戯曲になっているので、それを感じることこそ、シェイクスピア作品の醍醐味ではないかと思っています。
「シェイクスピアはわれらの同時代人」(ヤン・コット著)という1960年代に書かれた本があるのですが、シェイクスピアは常にその時代を生きる人の「同時代人」なのだと思います。また、彼は「未来人」でもあって、作品の中には常に未来へのメッセージを残し続けている人でもあります。そう考えると、稽古をしながらも、そこに新しい未来が内包されているような、不思議な感覚を味わえることがあります。世界状況は日々移り変わっていきますが、それすらも取り込んでいくような、そんな現在進行形のような魅力があると思います。

藤田俊太郎さん

言葉を大切にする役者さんとの舞台を楽しみにしています

――藤田さんは蜷川幸雄さんのもとでも多くのシェイクスピア作品を作り上げてきたかと思いますが、そのご自身が持つ引き出しから、今回はどんなものを使っていきたいと考えていますか。

そうですね、今回はやっぱりKAAT 神奈川芸術劇場さんとご一緒するからこそのプランナー、スタッフ、カンパニーとの共同作業ですし、このキャストだからこそ伝えられるものがあると思っていて、それは「言葉を大切にする」ということです。役者の皆さんは、本当に日本語を大事にしながら芝居をしています。その筆頭が、多くのシェイクスピア作品に出演してこられた木場勝己さんですよね。
木場さんだけでなく、役者全員に当てはまることでもあります。僕は長年演出助手をしていた蜷川(幸雄)さんの現場で学んだことはたくさんあって、スタートを思い出せば、僕が役者のオーディションでニナガワ・スタジオに行ったとき、初めて演じたテキストは「リア王」のエドマンドだったんです。だから、僕の演劇のスタートは紛れもなく「リア王」「リア王の悲劇」であり、シェイクスピアだったと思っています。
そこから20年を経て、今また改めてシェイクスピアは面白いなと思うんですよ。「その言葉にどんなリアリティを宿しているのか」という文学作品として見ても優れている一方、役者たちと舞台を創りあげる過程では、全く違う姿を見せてくれる。世界中の演劇人はそこに魅せられて、追い求めているんだと思います。
今作にもいろいろな仕掛けがありますが、特に注目していただきたいのは最終シーン。リアが亡くなるその死に様を、エドガーがどう言葉にし、次の世代や観客に伝えようとするか。悲しくもおかしみのあるその言葉は、「人生は悲しく、豊かで滑稽だ」というシェイクスピアのメッセージでもあると思います。私たちのカンパニーは様々な観点、価値観を大事に創作しています。ラストシーンは今までとはまた別の様相を呈するのではないか。新しい「リア王の悲劇」を創ることができるのではないか。もし今までの私たちが男尊女卑であったり、「世界はこうだ」と決めてかかっていることがあるとするなら、そこにはもうひとつ、今まで光が当たらなかった場所にも光を当てられるような、そんなラストシーンをお届けできるのではないかと期待しています。
「リア王の悲劇」というと、すごく悲しい物語なのかなと思われるかもしれませんが、全くそんなことはないと、稽古を通して実感しています。悲劇ではありますが、笑える場面がたくさんあります。劇場を出るときに、お客様が今までと違う価値観を得ることができたら、本当に嬉しいことだとカンパニー一同考えております。
作品はお子さんから大人まで見られますし、劇場は横浜で、近くには中華街もありますし、海を眺めることもできます(笑)。舞台に感激して、美味しいご飯を食べて、美しい景色を眺める素敵な1日を過ごしていただけたらと思っています。

(取材・文/小川聖子)
(撮影/森浩司)

公演情報
TICKET

公演名
KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『リア王の悲劇』
会場
【神奈川】KAAT神奈川芸術劇場<ホール内特設会場>
上演期間
2024年9月16日(月祝)~10月3日(木)
※18日、27日はアフタートークあり
料金
全席指定 一般:9,500円 →
《ご優待価格》全席指定 一般:8,900円