INTRODUCTIONイントロダクション

たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに
私をさらつて行つてはくれぬか

タイトルとなったこの河野裕子の歌は、歌人である河野裕子と永田和宏、二人の出会いの頃に詠んだ歌。
1967年頃。河野裕子21歳、永田和宏20歳。
京都の大学生たちが集まって作った短歌の同人雑誌創刊の歌会だった。
やがて結婚、河野裕子が64歳で亡くなるまで、四十年にわたりお互いを恋の対象として詠み合った相聞歌、妻を看取った夫が詠んだ挽歌だけでなく、日常の暮らしの中で普段の言葉を交わしながら、歌で心を通わす夫婦の姿、その葛藤などが赤裸々に綴られた夫婦の記録。

亡くなる直前まで歌を詠み続けた歌人・河野裕子と、看取った夫・永田和宏。
二人の絶唱が、心揺さぶられる感動の朗読劇として演じられます。

主演は、アカデミー賞外国語映画賞を受賞した映画『おくりびと』、現在公開中の話題作・映画『黒牢城』などで主演を務めるなど圧倒的な演技力で人々を魅了し、先頃、還暦記念フォトブック『awai 刹那と永遠のまにまに』が出版され大きな話題となった俳優・本木雅弘。今回は自身初の朗読劇への挑戦となり、妻を看取る歌人・永田和宏を演じ読みます。
妻の河野裕子を演じ読むのは、柔らかな上品さと、芯の強さで存在感を示す女優・森口瑤子。
そして上演台本・演出はドキュメンタリータッチのドラマが定評のベテランの演出家・星田良子が手がけます。音楽は中村匡宏によるオリジナル曲で、ピアノ・チェロの生演奏をバックに、朗読により紡ぎ出される至高の愛を昇華させます。

2026年最注目となる本作、ご期待ください。

INTERVIEWインタビュー

還暦を経て挑む31年ぶりの舞台、そして言葉と夫婦の形

1995年以来31年ぶりとなる舞台出演、そして自身初挑戦となる朗読劇『たとえば君 四十年の恋歌』に臨む本木雅弘さん。生物学者で歌人の永田和宏さんと、同じく歌人として生きた妻・河野裕子さんの歩みを描く本作について、作品への思いや還暦を迎えた現在地をたっぷりと語っていただきました。
本木雅弘さん
本木雅弘さん

お互いを徹底的に見つめ合ってきたふたりの強い関係性は羨ましいほど

―― 本作の出演オファーを受けたときのご心境、そして永田和宏さんとのご縁について教えてください。

永田先生にお会いしたのは1年ほど前ですが、実は3年前に、民放のドラマ(「友情 平尾誠二と山中伸弥『最後の一年』」)を通してご縁がありました。先生と山中教授は旧知の中であり、平尾さんの恩人のカメラマンさんは、先生のご長女、紅さんのご主人だったのです。その後、先生を交えてお食事をご一緒した際に、この朗読劇のお話を伺いました。「いつかやってもらえたら」なんてお言葉をいただいていたのですが、思いのほか早く実現することになりました。
私自身、朗読劇は初めての挑戦ですし、舞台に立ってお芝居をするという意味では、1995年の『女中たち』以来実に31年ぶり。多少の不安はありますが、昨年の12月に60歳になりまして。この「還暦イヤー」は、自分の中で密かに、これまで少し出不精だった自分を奮い立たせ、新しく生まれ変わらせるという思いで、ご縁があって物理的に合うものであれば、できる限りオファーを受けてみようという意識でいたのです。そうしたら、このお話がぴたりとハマりました。まだ相手役の森口瑤子さんともお会いする回数が少なくて、今はふわふわとした緊張感の中にいますが、うまくいけばいいなと思っています。

―― 永田さんと河野さんが紡いできた関係性についてはどのように感じられていますか。

おふたりが紡いできた夫婦としての歴史や家族、そして人間と人間の交わりというのは本当に壮大です。河野さん役の森口さんもおっしゃっていましたが、私もおふたりの短歌に深いインパクトを感じています。河野さんの歌には、大地と直結しているような、力強くみずみずしい感性があって、永田先生には夫としての目線、科学者としての目線、生身の人間 河野さんを観察する目線、歌の選者としての目線など、重層的な眼差しを感じます。若いときに出会って恋愛や家族愛を育んできたという以上に、お互いを徹底的に見つめ合ってきたその関係性がとても強く、羨ましくも感じます。自分もその力をいただき、劇に活かしながら、貴重な体験にしたいなと思っています。

「短歌」というツールがあったから、ふたりは健全に、幸せに生きられた

本木雅弘さん
―― この作品は、お互いを徹底的に見つめ合ってきたふたりのお話です。人や家族との向き合い方において、ご自身と重なるところはありますか。

これは自分の利点であり短所でもあるのですが、私は人に対して少し客観的になりすぎるところがあります。もちろん感情をストレートに表す瞬間もあるのですが、沸点が来てもスッと冷めたり、対峙している相手が興奮しても、同調せずに熱を下げようとしたり…。シニカルに憎まれ口を挟んで論点をずらそうとするところもあるので、場合によっては薄情に見えることがあるかもしれません。本当は夫婦の間でも心底掘り下げて、いい意味でお互いをえぐり合うようなことができれば面白いと思いますが、なかなかそこまでは行けない…というより、行かないようにブレーキをかけて、自分の領域を守ろうとしているのかもしれませんね。

―― 世の中の多くの夫婦もそうだと思います。永田先生はご著書のなかでも、「その人の前にいると自分の一番良い面が出てくる。それが良い夫婦で、そう感じさせてくれたのが河野の存在」といったことをおっしゃっていますが、実際はなかなか難しそうです。

そうですよ。ちょっと突っ込みたくなりますよね(笑)。夫婦の間では、良い面が引き出されてうまくいく瞬間はもちろんあるけれど、むしろ他の人には見せない自分のイヤな部分、至らない部分が出てしまうこともあります。さらにお互いにそこを指摘してしまったり…。それでも人間というのは、一口で言えば他者によって作られてゆく存在。自分は相手の影響を受けて作られるし、相手もまた自分によってデザインされていくのだと思うと、人と関わるというのは責任あることだなと思います。永田さん曰く、大切な人を亡くしたときの痛みが心に堪えるのは、失った悲しみだけでなく、「その相手によって輝いていた自分」も失うことになるから、と。人を愛するとはそういうことなんだと改めて突きつけられた思いがします。それらを踏まえた上での、永田先生と河野さんには、互いにとことん向き合ったもの同士にしか見られない景色や、醍醐味のようなものがあるのかもしれませんね。

―― 永田さんご夫妻が、とことん向き合ってもお互いに認め合える、好きでい続けられたのはなぜだと思われますか。

永田さんご夫妻には、日常の会話や暮らしの中でのコミュニケーション以外に、「短歌」というツールがありました。お互い表現者として、話す言葉以外の方法でお互いを分かり合えたからこそ、健全に、幸せに生きられたのではないかと思います。やっぱり「表現する」「伝える」というのはとても大切なことだと思うんです。私も「表現」が仕事ですが、妻もまた文章を書いたりしています。お互い、自分が表現するものの端々に、相手から受けた影響が投影されたり、あるいは吐き出されていたりして、それが良い方に作用してバランスが取れることもあると思います。「表し方」は、日記を書くでも、絵を描いてもなんでもいい。とにかく「自分を見つめる」作業があるとよいのだと思います。よく熟年夫婦の話で、働き盛りの時期にすれ違ったせいで、いざ時間ができてもなかなか分かり合えない…なんてことを聞きますよね。ブランクがあるのに、急に突き詰めて話すのはやっぱり難しい。そんな場合は、たとえば夫婦で朝の散歩を一緒にしたり、ゲームをしたり…なんでもいいから、会話とは違ったコミュニケーションが取れる機会やルーティンをつくるのが良いのではないかと思います。すると、それこそ短歌でいうところの、「あえて言わない部分」「言えない部分」のようなものが匂ってきたり、垣間見えたりして、お互いを知ることができる。それがリハビリになることもあるのではないでしょうか。

―― 確かに、前半で本木さんがおっしゃっていた、永田先生のような重層的なまなざしにもつながってきそうです。

31年ぶりの舞台作品、相当ハードな経験になりそう

本木雅弘さん
―― すでに稽古も始まっているということですが、手応えはいかがですか。

この間、本読みをやらせていただきました。私は朗読劇での俳優はお話の媒介者、物語を自分に通過させてお届けする読み手、という意識でいました。しかし、演出の星田良子さんからは、「もっと全てを自分ごとに」「追憶を語るというより、『僕の大切な河野裕子のことを皆さんに聞いて欲しい!』というくらいの熱量で、愛に溢れた意識を持ってほしい」と、いうスゴいオーダーをいただきました。さらに、「愚直さ」を出してほしいとも言われまして…。僕のなかでは、あまり洗練させずに、自分なりの人間臭さを漂わせる、ということだと解釈しています。映像の中で仕上げることを中心にやってきたので、久しぶりに生々しくハードな、”いろいろ殴られるような”経験になりそうです(笑)。
一方、森口さんは私より地に足がついていて、底抜けのはつらつさを感じるので、「これは預けられるな」と本読みのときに思いました。初共演ですが、互いにそれぞれの経験値を照らし合わせながら、リアルな空気感が出せたらと思っています。

―― 病気が発覚し、闘病する妻と向き合うという難しい役どころでもあります。

そうですね。でも例えば、河野さんが詠んだ歌の中に、「あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くよりなくて 」というのがあります。薬の副作用で錯乱状態になり、どうしようもなく荒れてしまった河野さんを、先生もどうしようもなく抱きしめた…のちに河野さんは、自分の乱れた挙動をしっかり覚えていて、それを懸命に受け止めている先生の姿も正確に見て感じていた。先生にとってはこの歌が、その先の闘病に向き合うための「お守り」や、亡きあとの思い出への、「救い」のような存在になったそうです。おそらく自分が想像しているよりもずっと壮絶な時間が繰り広げられたと思いますが、その奥にある尊さや美しさを感じながら表現につなげることができたらと思います。

言葉だけでは伝えきれない奥にある思いを伝えるのが短歌

本木雅弘さん
―― 現代の若い方の間でも短歌がブームになっていますが、どう感じられますか。

現代短歌はとても自由度が高いようですよね。率直な言葉で語られていたり、造語的な感じがあったり。日本人は漢字もひらがなもカタカナも、そして和製英語も作ってしまうなど、たくさんの言葉を扱える民族。若者にとっても短歌が自己表現の手段になるというのは日本らしさがあって面白いですね。”X”などで呟く気軽さと共にこのブームが続くといいですね。

―― 還暦を迎えて、今一番したいことは何ですか。

「還暦イヤー」は仕事をできるだけ受けると言いながら矛盾しますが、私はとにかくひとりになりたくて(笑)。昨年の誕生日のときも家族に、プレゼントはいいから旅に出させてくださいとお願いし、2週間ひとり海外で過ごしました。「還暦イヤー」も残り数カ月ですが、できればもう一度ひとり世界の果てにでも行ってみたい。ひとりになれればどこでもいいのですが。またもや永田、河野ご夫妻の言葉をお借りしますが、短歌というのは、実は生身の人間レベルでしゃべっている次元では「言えない・言わない」感じというものを詠み合っていく詩型であり、いわば「もっとつきつめた、ひとりぼっちのもの」なのだそうです。故に、より俯瞰して相手と自分自身を見つめる中で、人間の業や本質を理解していくというような…自己を深く見つめる孤独な時間があるからこそ、再び他者と向き合うときに鮮度を持ってその影響に感謝できる。私も人と向き合っていくことをより完成形に近づけるために、もっと孤独を味わいたい。本音を言うと、1年の3分の1くらいはひとりでいたいくらいです(笑)。

―― 最後に、観劇を楽しみにされている方へメッセージをお願いします。

朗読劇というと、言葉だけで奥にある気持ちをどう読み取っていくか、など、鑑賞に難しいイメージがあるかもしれませんが、短歌の響きそのものも含め、作品を感覚的に捉えていただければ、皆さんそれぞれなりに拾えるもの、そして普遍的に感じられる何かが、きっと届くと思います。私自身も皆さまとの一期一会の瞬間に、心を通い合わせることができたらと、徐々に期待を膨らませておりますので、ぜひ劇場に足をお運びください。お待ちしています。

(取材・文/小川聖子)
(撮影/藤本聡太)

CAST&STAFFキャスト&スタッフ

【出演】

本木 雅弘

森口 瑤子

【演奏】

ピアノ
西尾 周祐

チェロ
中西 哲人

【原作】
河野裕子・永田和宏 著
『たとへば君 四十年の恋歌』(文春文庫)

【上演台本・演出】
星田 良子

【音楽】
中村 匡宏

【製作】
アーティストジャパン

INFORMATION公演情報

公演名
朗読劇『たとへば君』四十年の恋歌
会場
【東京】新国立劇場小劇場
上演日
2026年10月28日(水)~11月4日(水)
料金
【定価】S席 11,000円/A席 8,800円→
《ご優待価格》S席 9,850円/A席 7,880円